象徴一 風は胎内に其者を孕む。



*風神ボレアス その気流のただなかに

嫡子をば孕めるとき そは光命を身に帯びる

技巧 剛毅 肉体 理智 そのもの劣るところなきは

いにしへに語られし英雄たちの驚異をも凌駕す

其者 帝王切開 早産の雛 逆子などとは比すべくもなし

 其れ 善なる幸運の星のもとに産まるる者なり


 *ヘルメス、その比類なき探求者はあらゆる自然界の秘奥へと分け入っては、これをいとも明快に*『エメラルド板』の文言へと刻みこめた。なかでも「風は胎内に其者を孕む」という一句へと封じられた意図は「太陽をその父に月をその母として陽光のもとへと生まれ出ずるべき者は、猛々しき風の昇渦のなかに抱かれている。飛ぶ鳥がまさに大気へと運ばれるように」というものである。

 まさに活発なる《風》に他ならぬ昇渦、強風は、凝集して《水》を生ぜしめ、さらに《地》と混合してあらゆる鉱物、金属をうみだすことになる。それは煙霧からただちに凝固されるとも言えるので、其者を内に秘めているのは水であれ煙霧であれそれは同義であって、どちらもひとしく《風》の支配者だと言って差し支えあるまい。ゆくゆくは鉱物、金属についても同様のことが言えるのであるが、まずここでの問題は、風に運ばれねばならぬ其者とは一体に何者なのかという点にある。化学的にいうならば、まさにそれは水銀のなかの《活ける銀》に擁されている《硫黄》のことであって、これは*ライムンドゥス・ルルスが*『覚書』(コディキリュス)第三十二章で言及している他、多くの著述者らによっても証言されている。さらにルルスは四十七章にて「石とは空気の胎内に孕まれる火である」とも述べている。また自然学的にはそれは《萌芽》であって、いままさに陽のもとへと生まれ出でようとしている、未だ産まれぬ胎児のことでもある。さらに算術的にいえばそれは立方体の根であり、音楽的にはそれは*ディスディアパゾンであり、幾何学的にそれは点であって、連続して走る線を形成する。天文学的には土星や木星や火星などの諸惑星の中心ともいえよう。

 以上はそれぞれに異なった命題ではあるが、存分な比較をなすならば《風の嫡子》が如何なるものであるべきなのかは容易に検証されうることであろう。各々の命題に則った考究は各々の探究者こそがなすべきであるが、これはつねに留意されねばならない眼目でもある。ここでの我々の主題をより明確にしておくと、煙霧から組成された水銀とはまず《水》である。これはそれ自身とともに《地》を大気の稀薄へと昇向せしめる。これは《風》を湿った水のごとき《地》あるいは、乾いた地のような《水》へとひきずりもどすことになるので、さらにこれは《地》でもあるといえる。このなかには諸元素がすべてすっかりまるまる混合しており、互いに混ざりあっては、さる粘着性物体へと凝縮し押込められているために、容易には互いの手を退かせないのであるが、揮発性物質が上方へと飛翔するのに従って、あるいは固着したものとともに、下方に残るものである。

 *メルクリウスは、使者とか訳解者などとも呼ばれる神格であって、神々のさなかを走りまわる伝令の使節とされている。それはまことに理由なきことではなく、その頭と踵には翼が備わっており、まるで風そのもののように空中を吹きすさび飛ぶ。また風というものは、甚大な損害すらもたらすことも、人々の経験上によく知られたことであるが、一方でメルクリウスは、二匹の蛇がからみついて交叉するカドゥケウスの杖を携えており、これによって肉体から魂を引き抜いたり、それを再び肉体へと戻すといった能力が与えられている。かくも相対する作用をこもごもに及ぼすがゆえにメルクリウスは《哲学の水銀》の最も秀逸なる寓意、表象とされた。かくしてメルクリウスは《風》であり、それは《硫黄》あるいは*ディオニュソスさもなくば*アスクレピオスを抱いている。これらはといえば未だ産まれぬ不完全な胎児であり、母の子宮や、焼かれた母体の灰から取り出されて、その後に成熟をもたらすところへと導かれた経歴をもつ者たちである。

 胎児は硫黄である。硫黄を風神ボレアスのなかへと吹き込んだのは、天空の太陽であり、そして他ならぬ太陽こそが硫黄を育成し、完全な成熟へと導く。この成熟が最高度に達したときには双生児が産まれる。白い髪のものは*カライスと呼ばれ、赤い髪は*ゼテスと名付けられたものだ。化学の詩を記した*オルフェウスの伝えるところでは、これらボレアスの子らは*イアソンの同行者であり、コルキス島から金羊毛皮を奪取するアルゴ探索隊にも参加している。盲目の予言者フィネアスが*ハルピュイアらに襲撃され、もはや敗走すらもかなわなかったときに、これらボレアスの息子たちの手腕によって予言者は助けられた。予言者はこの恩恵へと感謝を示し、アルゴ探索隊に進むべき路のすべてを開示した。この伝説に登場するハルピュイアとはまさに硫黄のもつ腐敗性質に他ならないが、それは成人となったボレアスの息子らによって追い払われる手筈である。不完全で猛毒有害なる揮発性物質に呻吟する物質はついに完全なものとなり、もはや悪しきものには隷属しないということが示されている。この後これらの完全化した息子らは、いかにして金羊毛皮を手に入れるのか、その方策をばイアソンへと示すことになるのである。

 他の多くの著述者とおなじく、*バシリウス・ヴァレンティヌスもまた《風》に関する注釈をおこなっている。その『第六の鍵』では「吹き付けるべきは、いわば東南東風(ヴァルチュラヌス)が二回、南風(ノタス)が一回。これは東より南より強烈に吹きすさぶものだが、風がおさまればそこから《水》が生じるのである。霊気から物質の生ずることとこそ心得よ」とある。一方*ジョージ・リプレイは『第八の門』にて「我らの幼児はやはり風であって、それは風の胎内のなかに生まれるであろう」と述べている。同様の釈義を我々は、*『哲学者の階梯』の「第六段」にも見い出すことができる。「汝識しるべし。叡智の息子は風より生まれ出ずる」そして第八段には「ともに空風へと昇りゆく軽き霊気は互いに愛しあう」とある。いみじくもヘルメスの述べたごとくに「風は胎内に其者を孕む 」のである。我らの息子の生成は《風》のなかにこそ形成され《風》に生まれたものこそが、叡智もて生まれし者なのだ。其者は地から天へと上昇してゆき、そして再び地へと下降してきては優そして劣ともどもの徳目を獲得する。

 
 
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