象徴六 しろき畝間の大地へと汝の黄金を蒔け。



鍬で根掘りて 畝づけて

 農夫は種を 肥沃なる大地に預く

哲学者の説くところ 

白き地へと黄金を蒔くべし 

其はかるき葉のごとくゆらぐ

汝これを請け負うならば それへとよき注意払へ

汝の小麦 金の芽吹きをうつし出ださむ


「都市国家たるもの医者と医者では構成されぬ、医者も農夫も必要なり」というプラトンの言説がある。全く異なった専門技能であるこれらふたつをプラトンが特に挙げているのは、その営みが模倣、活用、補完としての自然の営為への参与を顕著に示しているからである。医者も農夫もどちらもが自然から与えられるものをその仕事の対象とし、ただ必要なものを加えるか、余分なものを取り除くかするだけである。それゆえどちらの技術も必要物の追加、あるいは余剰物の削減として定義できるところ、*ヒポクラテスの医術のごとくである。農夫のなすべきはただ耕し、畝をすき、鍬で馴らし、施肥すること。そしてあるがままの地に種を蒔く、それだけである。
 作物を繁殖させ育成させる段となると、農夫は雨や太陽熱をつかさどる自然の力に任せることとなる。太陽熱や雨は、種子を倍加繁殖させ刈り入れるに充分な育成した小麦へと増進させる。自然が葉身を生長させゆく間に農夫のなすべきことといえば、アザミを取除くなどして障害となる雑草をむしりすてることだけである。小麦が熟せば農夫はその収穫、脱穀などの仕事をする。医師もまた(異なった見地からは薬剤師もそうだが)患者に対して強壮術とおなじく抑制術も執り行うであろう。病源をのぞき、疾患をいやし、症状を緩和する。血管をひらいて余分の血液を排除し、食事療法で恢復力をつけ、浄化によって有害な流体をとりのぞく。医師が自然からの模倣に頼っている医術の例は枚挙に暇がなく、その知力と技術のはたらきで自然のあるがままを矯正しているといえる。だがいま我々の関心は、これら一般知識を対象とせず、ただ化学の主題に絞ろう。
 化学はその謎めいた術語にも作業過程にも農業との緊密な類似をみせている。農夫は大地へと種を蒔くが、化学者もまたおなじである。農夫は土壌を豊かにする肥料をもっているが、それ無しでは何事をも達成し得ず、なんらの稔りも期待できない。また農夫には萌芽させるべき種子があるが、これをもたぬ化学者などは、ライムンドゥス・ルルスの云うように、いまだかつてみたこともない人物の肖像画を描こうとする無益な画家のように成り果てることであろう。農夫はまた雨や太陽光をまちわびるが、その作業へと熱と雨をあてがうことは化学者にとっても忘れてならぬ重要事である。もはやこうしたことに贅言を尽すことはあるまい。
 このように、もっぱら化学の過程は農業術の営為との並行をみせて進み、あらゆる点で農業は化学の代理、その完全なる象徴、寓意をなしている。それゆえ古代人はケレス、トリプトレムス、オシリス、ディオニュソスなどの眩き神々を観照し、これに化学との関連を持たせたのであった。これらの神々は、大地への種蒔、耕作や栽培、葡萄の栽培と葡萄酒造などを人類に伝授した神として描出されている。しかし、むしろこれらすべてが専ら農業の仕事それ自体へと関連づけられてしまったのは無知の為せるところであって、かくもヴェールに覆われた難解な自然の神秘は本来、俗間からは隔てられるべき叡智にかかわるものであったのである。
 哲学者らは「白き畝間に覆われた大地に蒔け」と主張する。小麦の種蒔というのはひとつの挙例であって、まさしくそのように模倣せよ、というのが賢者らの言わんとするところである。たとえば*『小麦論』の著者や*ヨドク・グレヴェリュスそれぞれのいみじくも記しているところ、穀物を育てあげる農耕術が黄金種子の注入やティンクトゥラ調合へときわめて簡潔にもそれぞれが適合している。肥沃を意味する《黒》は農夫にとって重宝されるものであり、彼らにとっては《白》き大地はすくない稔りしかもたらさぬ砂質の意となる。けれどもそれは《畝間をつくること》すなわち、よりよく準備の整っていることを示し、哲学者にとってきわめて重大なことである。そこに肥料をほどこすことで、いかにこれを向上するかは、哲学者のみぞ知るところである。種子の注入、種蒔は、世界への伝播そのものであって、たとえ固体として存続できなくとも、この措置をとることで種族として永続してゆくことができるというものである。こうしたことは人間種、動物種、植物種すべてにおいてあてはまることである。それらはまず両性具有として生まれてから各々の性へと分かれゆく過程を経る。しかしこの過程は金属種においてはかなり違いがあるもので、それらはまず「点」から「線」を生じ、線からは「面」が、面からは「体」が発生してゆくのである。
 星辰の影響力は、線、面、体、それら以前にまず「点」をもたらし、これがすべての根源となる。自然はこれを永い時間をかけて流転させてゆく。まず大地のなかの息子は、天界のフォイボスによってつくりだされ、その育成は、メルクリウスからウルカヌスにゆだねられる。そしてケイロンの巧がそれを導くのは、かの母テティスの炎がアキレウスをひきとめ、すなわちこれを硬化させたと知られるごとくである。とりわけ彼のアキレウスは師匠ケイロンから音楽と、竪琴の演奏のすべを学んだ。アキレウスとは、まさに哲学の物質そのものにほかならない。その紅い髪の息子はピュロスである。この二人がいなければトロイ征服は果たされなかったであろう。これについては聖なる刻印文字に関する書物*『秘中の秘書(アルカナ・アルカニスマ)』の第六巻にて既に記した。

 
 
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