象徴七 いとけなき鷲の子、飛立ちの手習ひ。巣から飛んではまた巣にもどる。



虚(うろ)ある岩へと鷲の営巣す 其処に潜みて吾子に餌をやる
子のひとつは その軽やかなる翼にて飛翔せんと欲し
しかれどもその兄弟 翼なきに連れ戻されなむ
其は飛翔せし鳥の 巣立ちし処に舞ひ戻るゆえ
頭を尻尾につなぐべし さすれば汝は達すべし


 あらゆる医師の規範たるヒポクラテスが*《気質》について断言するところは以下の通りである。「それは各々の人体のなかで多様に異なるもので、けっしてただひとつのものではない、さもなくばいろいろな疾患があらわれるはずもない」我々にとってもこれは真理であって、世界全体が諸元素によって構成されていることと同様である。もしも元素がただひとつしかないのであれば、それが何か他のものへと変わるということは一切あり得ないし、生成や腐敗ということも起こらぬであろう。それに、すべてが唯一不変ならば流星、鉱物、植物や動物が無為にも生ずることもなかろう。ゆえに至高なる創造者はあまねく世界の全体系のなかに、多様なる反目の性質、すなわち軽さ重さ、熱さ冷たさ、湿気と乾気、そういったものを組み込んだのである。一方は他方へと親和力、類似性によって深く関係付けられているので、精髄・質・特性・作用などの点では双方にかなりの違いがある物質からでさえ、組成は成されるのである。事物のなかで完全に混合しているのは軽き元素《火》《風》そして重き元素《地》《水》であって、それらはともども釣り合って調整されており、一方が他方から離れ去るようなことはない。
 けれども、隣接している元素はその接するところより容易に搾取拘留される。《地》と《風》は互いに反目し《火》と《水》もこれを同じくする。だが《火》は《風》とたがいに共通の熱気によって友情のもとにつながっており、おなじように《地》とは乾気によってつながっている。《風》は《水》と、《水》は《地》と、それぞれ同じような関係を結んでいる。このようなあり方でそれらは*親和力の縁で結合されている。あるいは血縁関係とでも云うほうが良かろうか。そしてひとつの物質のなかに合成されて互いを存続させている。たとえば、そのなかに軽い元素が優勢であっても、それは重い元素をひきつれて上昇している。重い元素が優勢ならば、そこには軽い元素が劣勢になっている。このようなことが《翼のある鷲と翼のない鷲》の二匹によって図示されており、前者のそれは飛び立ちの練習をしているものの後者に引き留められているのである。この題については《鷹と鷺の戦い》という平明な解説もある。鷹は素早いはばたきで迅速に飛翔力し、《風》のたかみへと急上昇しつつ、爪で鷺を掴んではこれを引き裂く。しかしその重みによってともどもは地面に墜落してしまうのである。これに反する状況が《人造の鳩》にみられる。これは*アルキュタスの意匠のひとつであって、機械的に自動でうごき、その重量はみずからの軽さでもって中空に運ばれ、そこに封じられた霊気によって木製でありながら風に舞い昇るのである。
 哲学の物質もまた、初めは量的に軽きものが重きものに支配的である。しかし重き元素の力によって克服されてゆき、*七段階の過程を経てゆくなかで鷲の翼は切り落とされ、ふたつの鳥はひとつの大きな鳥、すなわち駝鳥となる。それは鉄を喰らい、みずからの重量を妨げにして、飛ぶにふさわしい立派な翼をもちながらも《風》に舞うことかなわず、大地を蹴りはしるを選んだ鳥である。*『立ち昇る曙光』第五章でその作者の主張するところであるが、これと類似した事柄についてヘルメスは以下のように記したと伝わる。「余は鳥たちを叡智のものとして敬うに値すると考える。それは牡羊座、巨蟹宮、天秤座または山羊座をめぐって飛ぶ」「山岳地帯から得られる純粋な岩や鉱物からそなたはそれを恒久に手に入れよう」*セニオルもまた『化学典範』のなかで同じことに関して述べている。「ふたつの鳥の観られるところ、一方は飛び、他方は翼なく、ゆえに一方はくちばしで他方の尻尾をつかみ、それらは容易には分かたれない」いかなるときも重きものとは軽みによって引き揚げられるものであって、軽きものとは重みに押しさげられるものなのであり、これは汎自然のいとも巧妙な仕掛なのである。*『完全なる術』の著者は、金属的蒸気と星辰の運行を比較してこのように主張している。「鉱物から生ずる蒸気は凝固した金属へとつながれるべきで、それはちょうど運行する星々が定まった位置に回帰してゆくようなものである」化学者たるアリストテレスの云うには「ガス(霊気)が固形物(肉体)や流動物(魂)を溶解したときには、あらかじめ調合されてあった固形物とつなぐことで制御しなければならない。この霊気的占拠によってはじめて揮発性のガスは固形物となる」
 さてこの《占領》は肉体に霊をつなぎ止めることであるが、そのための固形物はあらかじめ用意されていなければならない。肉体の超存在としての霊気が飛翔せぬように占拠されるのである。*ペトリュス・ボヌスの講釈によれば、樟脳の中には軽い元素が見い出されるが、それは《風》と《火》であって、これらは重きに打ち勝ち、それゆえにすべては大気へと吐き出され、すなわち気化すると言われる。活ける水銀、硫黄の精華、アンチモン、心臓血液の塩、アンモニア塩などでも《地》は《風》と分離されずに蒸留器のなかを飛んでいる(a)。黄金、硝子、金剛石(ダイヤモンド)、*金剛砂などのものでは、かなりの永さを炎にさらしても元素はいかなる損害もなく結合したままである(b)。《地》が他の元素をみずからの力で維持するのである。他の可燃物質では一方から他方の分離分解が生じるので、それゆえ灰が基底に残って《水》《風》そして《火》が上方へ飛ぶ(c)。
 構成要素にばらつきがあるためにつよい結びつきを示さない、最後に挙げたような物質(c)にも、比較的つよく結び付いているもののまだ揮発質である最初に述べた構成物(a)などには、関心を払うべきではない。我々は、強固で堅く硬質の、二番目に挙げた事例(b)にこそ関心を集中すべきである。そこに見受けられるような仕儀でもって《翼なき鳥》は《翼ある鳥》を掌握、勾留し、強固な物質は揮発性の物質を縛る。それが有り得べき眼目なのである。

 
 
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