象徴一二 サトゥルヌスの吐き出す石、息子ユピテルの代わりに喰われ、

ヘリコンに安置されて人界への標石となる。



数多の詩人 ヘリコンを唱ひ

幾多の者共 山頂へ至らむと挑みしを述べたり

その故をば 汝きはむべし

ヘリコンの頂にぞ石碑は据へられける

ユピテルに代はりて其石 かの父に喰はれては吐き出さるなり

若し汝 かくいふ詩句をば字義のごとくに捉うるならば

其の思慮の浅きを己に銘じよ

なんとなればサトゥルヌスの石は 化学的のものなり


 サトゥルヌスの寓意への解釈は多様である。天文学者はそれを惑星の最高位として評するが、化学を志すものはこれを金属種の最基盤とする。すなわち《鉛》である。異教徒の詩人たちは彼を天の息子ユピテルの父であったと唱い、神話学者らは時間の観念として解釈を加える。けれども、このような寓意の解読は各々の思惑によるところが大きく、そこにはもっともらしい見解が含まれるようにはみえるものの、ほかならぬサトゥルヌスそのものが秘めている謎を解読するには至っていない。たとえば、なぜ彼はその息子をのみこみ、ユピテルのかわりに石を吐き出すのか。また、なぜ彼は真実を求め見出す者でなければならぬのか。なぜ彼は、その大鎌と蛇、暗黒、陰鬱、その歪んだ脚などによって特徴づけられるのか。「時間は暗闇のなかから真実をあらわにして明示する」と神話学者たちは語り、それで最良の説明をつけたと思っている。自身をまわりに回転させ、蛇のように滑り去ってゆくそれは、あらゆるものを死すなわち大鎌によって刈り取るからだ。また、彼がむさぼり喰う息子とは、いわば彼が生じさせてきたあらゆる存在なのであるが、かたい石までは消滅させ消化することができず、それゆえ再びそれを吐き出すことになる、だからそのように表現されたのだろう、と。
 こうした解釈にはいくらか真理に近づいている点も部分的にはあるのだが、それでもあらゆる状況のもとで万物の真理に一致するわけではない。しかし経験ゆたかな哲学者たちは、サトゥルヌスを作業の第一をなすものととらえ、まことにその存在さえあれば、誤りを犯すことには決してならないと主張する。じつに、真実というものは闇のなかから発見されるもので、暗黒なくしては何事も生まれ存在し得ないともいえよう。『賢者の一群』にて賢者らの言うことには「すべて暗黒の果てに現れる色彩は感服すべきものであり、それこそが仕事の始まりである」そして『薔薇園』には「まず黒さが増したなら、それは作業の鍵となる。黒さなしには造り得ない」というアルノーの言説がある。さらに*『鏡』(スペクラム)の引用には「汝、作業をおこなうならば、黒色を達成しつつある兆候を見失うべからず、そのとき汝は《腐敗》(プトレファクティオ)に到達し、かくして正しき方法で前進していることを確信するであろう」とある。一方で、暗黒は《冷たき地》を意味し、それは軽い煮煎でつくられる。また、黒さが顕著にあらわれるまでしばしばこれが繰り返されることもある。ゆえに彼らは《土星》(サトゥルヌス)が《地》であり、《水星》(メルクリウス)が《水》であり、《木星(ユピテル)》が《風》であり、《太陽(ソル)》が《火》であるという。暗黒とはすなわち《土星》のこと、その真実の探求者は《木星》にかわって「石」を飲み込むのである。暗黒は最初に「石」が露見せぬように、それを覆っている暗雲なのである。
 *モリエヌスは「魂の欠けたものどもは暗黒の朧である」と述べる。ヘルメスもまた「其者の脳を取り出してはこれを黒くなるまで、最も強力な酸あるいは少年の尿をかけ、すりつぶせ。かく行うことで、其者は《腐敗》(プトレファクティオ)に生き、死ぬ以前には其者に立ち篭めては体内にまで蔓延った暗雲は散る」と規定する。「この石は、それが白くなったときふたたび《土星》(サトゥルヌス)に吐き出され、死すべきものの礎としてヘリコンの頂に安置される」とヘシオドスの記にもある。白さはじつに黒さのなかに隠蔽されおり、その臓腑から引き出されるのだ。それはまさに《土星》(サトゥルヌス)の胃から、なのである。それゆえ*デモクリトスは「特別の贖罪薬によって錫を浄化せよ。そこから暗黒と茫漠を抽き出せば、白さは現出する」と言う。また『賢者の一群』では「《乾》を《湿》に結合せよ、それは水とともにある《黒き地》であり、白くなるまで煮煎ずるべし」とある。アルノーは*『新光』(ノヴム・リュメン)と呼ばれるその著述の第4章でこのことを平明に説いている。「暗黒を癒す湿気は、それが乾いていく過程に白色が現れはじめる様相を呈する」さらにその少し先では「そしてわが師匠はかく語った、褐色が強くなるのは、白さが暗黒のはらわたから出てゆくからである」――おなじことが『賢者の一群』でも述べられている。だから暗黒に対峙したときは、はじめに現れる黒身の臓腑のなかに、白さが隠されているとこそ考えるべきなのである。
 この暗黒をサトゥルヌス――土星――と呼ぶために、それはまた《鉛》とも呼ばれる。『賢者の一群』で*アガトダイモンは「《銭価》と呼ばれる黒さが現れるまで、銅貨や金属を煮煎じよ。我らの術の原料をばよくかきまぜれば、ほどなく汝は暗黒を見い出し、それは《哲学者の鉛》、あまたの書物に大いに語られたものである」と言っている。*エミガムスの言説はこれに関連を持っているであろう、曰く「彼が空へと立ち昇るとき、陰気な荘厳さのさなかでのみ、サトゥルヌスの壮麗、黒き光沢が現出する」また『薔薇園』でプラトンは「サトゥルヌスの最初の統治力の執行とは、破壊と、そして光を産むことである」これらすべてのことから、サトゥルヌスを語る哲学者の思慮が一般的な意味からは遠く隔たっているのが明白である。このサトゥルヌスは、曖昧な白さをもつユピテルを産み出した。そしてユピテルは、まず完璧な、純白たるディアナを、そして次に紅さたるアポロンを、ラトナのなかにもうけたのだ。そして、これは完全なる色彩の、その連続した順列配置である。サトゥルヌスに吐き出された「石」が人間たちの記念碑として山頂に配置されたというのも、しごく誠のことであるといえよう。

 
 
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