象徴二〇 如何にして火を統御すべきか、そは自然が自然に導くもの。



すべてを飲み込む炎 龍のごとく燃え盛ること獰猛なり

無垢なる乙女の類稀なる美をも破壊し尽くさむとす

おりしも 涙に暮れたる乙女 はからずも男にみいださる

男は乙女を救はむとして意気揚々なり

すぐさま盾にて乙女を護り 敵へとむきなおる

かくして乙女に むごき脅威にも心づよく耐えぬくすべを教ふ


 哲学者たちの間でありふれて交わされる象徴格言に「自然が自然によりて導かれ治められ圧せられることの、学徒が女師に、侍女(はしため)が貴婦人に、隷従が王妃に、娘が母に、親族から親族へと受け継ぐがごとし」というものがあるが、これは人の世の若者たちの教練や学術団体、政治体制などといったものにも日常的にもみられることであるから、真実を言表していると言えよう。
 *プリニウスの記すところによれば、夜鷹(ナイチンゲール)は一匹が別の鳥へと鳴きかたを訓練する。一方は他方をよくみて真似て、これを凌ぐか、あるいは凌がれるをよしとせず、しのぎをけずる歌合戦のさなか咽喉を傷つけるに至っては、かく唱いながら枝から落ちて死ぬことすらあるともいう。また、さまざまな種類の鳥たちがまだ羽毛も生え揃わない我が子へ飛びかたを教えるということもよく知られたことである。ゆえに、鳥たちを飛翔せしめるのはただに自然のみならず、技術とそして訓練でもある。とはいえ、ただ自然のみが肉体器官と力を与えることができ、それが飛翔という運動の訓練を可能にするのであって、自然なしには技術も訓練も一切の根拠を置くことはかなわない。かくして馬は子馬に走りや嘶きを教え、犬は子犬に吠えかたを、狐は子狐に狡猾の幻術を仕込む。霊もちて活ける種族ならば、すなわち自然の種であれば必ずや、他方の自然を導き、教練し、治めるものである。そのように子孫たるものの性は、親としての自然による制圧を被るものなのである。
 植物界にはこのような教練による改変は存在しないが、非常に重要なこととして、そこに人為の援助がみられることがある。人為によってこそ、穀草しげる田畑から雑草は除かれ、人為によってこそ成長の過程にある若木は曲げられる。鉱物界、すなわち哲学の物質の領域では、ある性質は別の性質を《火》のなかに保持しつつこれを護っていることが、鋳物師や精錬師などの自然物質を扱うに長けた人々に知られている。たとえば、銀や金に結びついた鉄はひじょうに優しくも柔らかく、その鉱脈のなかでカドミウムや砒素や、掠奪の性を秘めた欲深いアンチモンと混合しているもので、鉱物を炉の《火》中に投入して燃焼させるときに、助産婦の役割を果たして非常に役立つのである。このような鉄が鋼へと精錬される際に、海岸で見つかる白い石によって燃焼から守られるのもまた同様のことである。ある者は、金属を溶解させるときに、過分な熱からこれを守るために、硝子水晶の砕粉や硝子精製用の塩を投入する。それとおなじ目的のために、哲学者らは《ユーディカ》を用いるが、モリエヌス・ロマヌスはこれをゴール塩であるとし、容器中に不可欠のものとしている。熾烈な火熱は肉体を焼き尽くすが、ここに《ユーディカ》をさえ加えれば、物質は燃焼によって癒され《地》のものへと変換されるのである。もはや精神を保てなくなった肉体は、やすやすと燃え尽きてしまうが、《硝子屑(ユーディカ)》はあらゆる物質によく調和し、よみがえらせ、教練し、焼き尽くされぬようこれを護る。これはまさに、火に抗するよう自然が他の自然を導き、火に馴化させるに同じである。師匠の弟子への教え、熟考すればわかるように、女王の隷従への統治でもあり、母に誠意を尽くす娘である。それは《赤き奴隷》でもあって、かぐわしくも不道徳なる母とともに婚姻にむすばれ、両親よりも気高き後継者を得る。これはアキレウスの息子ピュロスであり、赤い髪をして黄金の長衣をまとい、黒い瞳と白い足をもっている。騎士である其者は首鎖(トルク)あるいは首飾りをし、剣と楯とで武装して、乙女――アルビフィカ、あるいはベヤ、ブランカ――を救うために龍へと進撃し、龍の爪にも傷つかない。またヘラクレスは、ラオメドンの娘ヘシオネをおびやかす巨鯨から解放した。これはペルセウスの例にもおなじであって、海獣へとメデューサの頭を掲げてアンドロマケ――エチオピア王ケフェウスとカシオペイアの娘である――を救った。こうしたいにしえの物語に準えられる其者は、かれらの国土の蘇生者であり、解放者であった。*マルクス・クルティウス、*ガイウス・ミュシウス・スカエウォラ、*ホラティウス・コクレス、マンリウス・カピトリウスなどの、危険から街を――自身の母親は勿論のこと――救い得る者たちである。これこそが、いかなるものをも完全へと導こうとする自然のありよう、その過程なのである。自然は力を運動へと転ずることで、或るものを他の物から導き出す。完全なるものを、不完全なものから演繹するのである。とはいえ自然はすべてを一瞬のうちに仕終えるわけではなく、ひとつひとつの段階を経て、その終局に到達する。また、自然はただひとりでこれを成し遂げるわけではなく、初めに述べたように、身代わりの助けを借りており、自然はその代理へと、生と死の力、いわば他のものを生成する力、を与えているのである。たとえば、人間の誕生にあたって自然は、十ヶ月という長い時間を要する。アリストテレスによれば、自然は代理者としてまず心臓をつくり、この最重要の器官が、養分摂取や生命や意識や組成力をもたらす、他の重量な器官を形成してゆくのである。心臓は、病気や怪我で傷つくなどしてその動作を阻害されないかぎり、伸縮運動によってこのような器官をつくりあげ、活力に充ちた霊気を吹込む。かくして或る自然・性質が他の自然・性質を教導することは、そなたの哲学の作業に関する例として観察、模倣されるべきものである。

 
 
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