象徴三〇 太陽(ソル)に月(ルナ)の欠かせぬは、雌鳥の雄鶏におなじこと。




嗚呼 太陽(ソル)よ 汝わが力存せぬならば独りにて何かは成し遂ぐ

そは恰も 雄鶏の雌鳥なしに役立たずのごときものなり

我 月(ルナ)はといへば 汝の助力をば要せり

こはまさに雄鶏の雌鳥に乞はるがごとし

愚かなるは かくなる連帯より免じられむと願ふ者

かくあるべしと自然によりて定められし結合なるものを


 アヴィケンナが魂(アニマ)に関する書のなかで再三の注意を促しているのは、たとえ達人といえども雄鶏とつがわせぬ雌鳥から卵は得られぬということで、これは男性原理なき女性原理に価値なしということであって、またその逆すなわち雌鳥なしに雄鶏はなにものでもありえないということでもある。これらふたつの性は《哲学の檻籠》にて結合されるべきであって、さようにすればこそ繁殖へと発展するのである。哲学者らがこれについて好んで鶏の喩えをもちだすのは、他のどんな鳥類の雄よりも雄鶏こそが硫黄の性質へと照応されるにふさわしいからである。雄鶏の一匹はたくさんの雌鳥に囲まれることで自ら満ち足りることを尊び、そのなわばりは堆肥の山といえども、これにいかなる敵の侵入も容易に許しはしない。わかき雄鶏の成長を見て詩人たちはこれを《火星(マルス)の鳥》と唱った。その本分は太陽を見据え、マルスとウェヌスの密やかな契りが露見せぬようにすることにある。その性はひどく好戦的でもあり、敵対するものと死ぬまで戦う。哲学の作業において雄鶏は太陽を、雌鳥は月を象徴し、ソルとルナの結合が必要なことが、そのまま雄鶏と雌鳥にあてはまる。雄鶏は太陽に捧げられており、朝日とともに目覚め、日没とともに眠り、天を仰いでその尻尾をたかく立て、鎌のような毅然とした格好をする。雌のためには蛇とも戦う雄鶏は光明を導く者とされ、ラトナの出産に捧げられたのでその寵愛を受けている。ラトナはソルとルナを産み、それゆえに雄鶏は母にも息子にもふさわしいものなのである。

 ソル、ルナそしてラトナが術の構成素材を象徴することに雄鶏と雌鳥も参与し、これらふたつは卵から産まれてなお卵を産み、ここから雛鳥が孵る。哲学者らもみずから卵を保持するが、肌身離さぬ雌鳥の体温のような穏やかな熱気によって育むならば、そこから類を同じくする鳥が産まれるのである。他の鳥類では雄が卵を温めるのにくらべ雄鶏はそうした義務から解かれているようで、雛の孵化や養育にむける精励をまったく雌鳥に委ねている。かたや雌鳥の精錬刻苦はじつに注目に値するものである。飲食などのあらゆる自然の要求を済ませ、卵が冷えることのないように走り戻る素早さたるや。鐘の音のような大音声で鳴き交わし、雛鳥を守る気迫と熱意たるや。かたい小片も穀物もナイフのように嘴で傷つけ切り裂き雛に与える努力たるや。これらすべては、まことに賞賛に値する自然の営為であって、卵というものが、単なる人間の食料へと、あるいは雛鳥の生産というものへと堕してしまうのを防いでいる。

 賢き術者があらゆるその作業に備えるも同様の仕儀にしたがう。哲学者らは雄鶏雌鳥のつがうがごときところから卵を採取するので、確たる場所に少しでも卵が結実されておらぬものかと血眼になって探すのである。卵は巣にあるとおなじく容器中で浄められ、選り抜かれ、配置され、適した熱がほどこされる。みずからの能動原理と受動原理を完全に融和させる日々のなかで混合物質は、その長い時間に多様な色彩を経るものの、ついにはただひとつの色彩のなかに精髄をきわめる。この過程には、溶解・凝固・昇華・上昇・下降・蒸溜・焼成そして固定という連続する作業が遂行されねばならない。もともと堅牢かつ緻密なるものは変成することができないのだから、《溶解》を先ずおこなうことで柔らかく液状に変えられねばならない。物質が液化し分解された際には、再び《凝固》されるべきではあるが、その硬度は以前とまったくおなじというわけではなく、糖蜜のような適度な御しやすさになることが望ましい。《昇華》は混合した不浄なるものから純粋部分を分けることで卑俗を高潔にし、下等を上等に前進させる。この欠かすことのできぬ作業は他のすべての仕事にとって女王、女監督官の役割となる。そうした昇華が施されるあいだには、いくらかの部位が上方に昇る。これが《上昇》であり、他の部分が下方に下がることが《下降》である。その後《蒸溜》を繰り返して施し、これが全体を澄ませるが、基底部に残るものは《焼成》される。上部と下部、その双方が固定すればこそ作業は完了となる。だが真実を知る者はこれら特別な作業をひとつの総体に体系化してまとめ《煮沸》と呼ぶ。思い思いにかけまわる雛は互いにコッコッと鳴き合いつつ一匹の雌鳥、つまり母、養母を中心としている。さまざまな作業の課程もまたすべて、ただひとつに向かって進行し、それは女の仕事、すなわち《煮炊》なのである。

 まさに月こそが荘厳なる太陽へと高められるべきものであって、過程のすべてはルナの益に尽くされるのである。太陽と月の恒久的婚姻が果たされるときには、あらゆる使命、契約、争議、疑惑までもが終わりを告げる。それが究極の目的である。たったひとつの寝台のうえに、たったひとつの肉体がよこたわっている、それは相互の不変なる愛、解かれることなき同盟、永遠の平和を意味する。ゆえに、月のなき太陽には偉大なる価値などなく、太陽なき月は惨めなありさまで落ちぶれた様相にすぎぬ。しかし月は夫たる太陽から、心と体のともどもに荘厳かつ力づよき確固たる壮健を受け取り、かたや太陽は子孫の繁殖、同族の増殖を手に入れる。*ロサリウスによれば「ふたつのうちただのひとつしか我らの石の内になければ、医薬は決して容易く流れ出すこともティンクトゥラが得られることもない。ひとつしかなければ、いかなる染色の力も持たぬ、すでに存する色は別としても、しかし残りと水銀は雲散霧消してしまうであろう、それはティンクトゥラを保持する余地がもはや無いからである」さらに*ゲーベルは『精査の書(リブロ・イグザミヌム)』のなかで、術によってソルとルナが互いに融合すれば、これは容易に分たれはしないと言っている。

 
 
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