象徴三五 火に耐えるの訓練はケレスのトリプトレムスに、テテュスのアキレスに、術者もまた石を馴化さすべし。



見るべし

トリプトレムスやアキレウスのいかに武勇に鍛(かた)されしかを

母の導きのもと 身を焦がす焔にいかに耐へるを学びしか

聖母なるケレスそしてテテュス 勇士らを炎に焼べる幾夜

胸に抱きて飽くまで乳をほどこす幾昼

歓喜に満ちたる賢者の医薬を さやふな仕儀に馴らすべし

そは火を悦しむこと 抱かれし赤児のごとし


 高名なスパルタの立法学者リュクルゴスは演台に立ち、善きにつけ悪しきにつけ習慣というものがいかにして平常化するかをわかりやすい事例で人民に説いた。生まれを同じくする一腹からの仔犬を二匹ならべ、それらの間に粥の満ちた鍋と活きのよい野兎を置く。一匹は兎を追いはじめて餌場を離れてしまうがこれは生来にそなわった習慣の拭えぬゆえである。しかし日頃に餌を与えられていたもう一匹は兎には目もくれず、粥に眼を留めてすぐに食べ始める。しかと見よ、若きより身に付いた習慣その教練は自然が等しく同じさまに造りしものへといかに効果を及ぼすことか、という立法学者の弁である。かような流儀を鑑みれば、善くも悪くも鑞のように柔軟である自然をば、よりよきものに修正改善して方向づけるは重宝なことである。政治上の問題のため立法学者が示した事例は、自然科学においても賢者らの同意しうる普遍であり、習慣というものがいかに効果を及ぼすかということは、人間や動物あるいは幾分かの植物にすらも、万象あらゆることに例を見出すことができるのである。

 鉱物や金属物質に至っては、このような経緯が見られることは僅少ではあるが、それでも哲学者らは適した火熱を作用させ、困難を伴いつつもこれに馴化させることで《石》を安定させるということが夥しい著作に言及されている。《石》は母の胸に抱かれ乳によって育つ子どものように、火によって養育されるのである。エミガムスはこれについて「妨げなく幼児が授乳しうるよう注意せよ」と述べ、ボディリュスもまた「産まれしその赤子はだた乳たる火にこそ養はれ、次第次第に少年となりゆきては、焼かれた骨も堅固にして若者となり、みずから律するまでの成長をとげる」と言っている。アルノー・ド・ヴィラノヴァもまた『哲学者の薔薇園』第二巻七章で「件の医薬はいとも永きに渡りて炎に炙られるべし、こはまさに子どもが胸に抱かれつつ育まれるごとし」と主張する。

 いにしえの賢者らはこれらのことを、火に寝そべって自身を堅く錬成したトリプトレムスやアキレスの寓意にて論証したものであるが、そのどちらもが象徴しているのは化学的な主題に他ならない。さもなければこれらは、学び熟考する道義に値しない、無味乾燥な寓話にすぎぬこととなろう。養母ケレスは、昼はその乳で、夜は火に当ててトリプトレムスを養育した。かくして少年が健やかに育つと、父エレウシウスはふとしたことでこれを知るところとなった。ケレスはエレウシウスを殺し、大蛇の牽く戦車を少年トリプトレムスに与える。これに乗って少年は空中を飛び全世界を経巡っては人々に穀物の蒔き方を指導したのである。さてもこのトリプトレムスは、火に育まれた《哲学の染色素(ティンクトゥウラ)》であり、これもまた大蛇すなわち水銀に運ばれ、如何にして哲学者たちが地にその種を蒔くのかを人々に示すのである。オシリスにも同様のことが帰されており、右記に違わぬ目的で地上を巡った。デュオニュソスもまた世界中を旅して葡萄酒の効用を人々に教えた。これら三者、トリプトレムス、デュオニュソス、そしてオシリスはただひとつ、唯一無二の意匠と働きを秘めている。さらにこれはトロイア戦役の英雄アキレウスにも通底することであって、その父ペレウスは大地あるいはペレウス山である。母テテュスは海原と水の女神であり、こうした神々からアキレウスは生まれた。しかしその双方が結ばれる折にはエリスの不和の林檎が実り、これがトロイア戦役のきっかけとなる。アキレウスはかような婚姻の嫡子であるがゆえ、それが争いなかで主要な役割を演じる運びとなるのは、もとより疑いの余地なきところであった。アキレウスもまたトリプトレムスとおなじく、母によって堅く錬成されたというべきであるが、これについては『秘中の秘書(アルカナ・アルカニスマ)』第六の書にて大きく取り上げた。

 以上にみるように、我らの《石》の食餌となるは火である、しかしこれによる拡張と増加を、縦・横・奥行にもとめる者はその思慮に無分別のそしりを免れぬことであろう。火からもたらされるのはただ《石》の効力と熟成そして色彩なのである。なんとなれば万物はそれ自身の調和にしたがうのであり、さまざまなものが材料になっているとはいえ浄化や結合を経て《石》は、みずからに必要なものをすべて自身の中に秘めるものとなる。『哲学者の薔薇園』には「この腐敗の水は、自身の必要とするものすべてを包含する(悪臭の水は自己充足する)」と記されている。全くの初めから究極の終わりまで、いまだ均質同一(ホモゲノス)ならぬものに異物を加えてはならず、異種異質(ヘテロギニアス)からは何も分離してはならない。なんらかの作業を開始するまえに《トリプトレムスの戦車に繋がれる蛇龍たち》について熟知せねばならない。これらは有翼の揮発性であり、その何たるかを求めるならば《哲学の汚物》中にそれはある。この塵は芥であり塵芥から生まれ《容れもの》となる。*マリア・プロフェティサはこれを「なんら妖術とは無関係、なにもせぬままに、自分の火を統制すること」だという。ここに我々が開示した真実は、長い期間の艱難を経て蒼古たる古文書から蒐集したものである。

 
 
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