象徴四一 アドニスは猪に殺されり。其処へウェヌスの馳せ来たりては、薔薇色の血にて躯を染めたり。



をのが父よりミュラ 麗しのアドニスを授かりけり

ヴェヌスに寵愛されし彼之者は 猪に殺されぬ

美神 此処に馳せ来たりて みずから足を切り裂きて

其の血にて薔薇色に紅く てづから染めたり かつ其のすぐさま白くかはること

美神なげくことシリアの民の嘆くに同じ あまねく世界はふかき喪に服す

ヴェヌス アドニスをば しなやかなるレタスの元にうずむ


 アドニスは太陽でありこれを殺す猪は霜しげる厳冬である、アドニスの寓意は神話学者(ミソロジスト)たちにそのように解釈されてきた。あるいはアドニスは穀物の種子であり、六ヶ月を冥府の女神(プロセルピナ)と地中に過ごし、六ヶ月を菜園の女神(ウェヌス)とともに地上で過ごすとした者もいた。しかしこのような解釈がいかに不適切であるかということは他の巻にて充分に示してある。賢者たちから幅広く得た論証より、我々は「デュオニュソス、太陽(ソル)、アドニスは同一なり」という詩句とおなじく、アドニスが《哲学者の太陽》であることを主張できる。またオルフェウスの詩歌にも「さまざまな名を冠されたアドニスは、種子つくる者、処女でも少年でもある」というものがある。古代詩家たちによるこうした詩句のすべては、空にある卑俗の太陽を示しているわけではまったくなく、とりわけ先に挙げたオルフェウスの言説が男女両性を表現しているごとく《哲学者の太陽》について触れており、賢者らは同様の意義をデュオニュソス、ソル、アドニス、そしてオシリスに与えてきた。

 「アドニスは猪に殺される」のであるが、これは猪の猛烈な牙にかかるがごとく極めて強い酸あるいは溶解液にて殺されるということである。アドニスとしての《哲学の太陽》はこうして致命的な傷を猪に負わされ四肢までもが引き裂かれる。すなわち溶解である。けれどもヴェヌスはこの最愛の者を助けに馳せ参じ、死の後にも慎重にその身体を葉菜(レタス)の間にうずめる。オシリスもまたテュポンに殺されて身体を引き裂かれたが妻イシスによって散じた身体を集められて埋葬された。このオシリスへの毎年の服喪祭儀はシリアやその周辺地域におけるアドニスの死に倣ったものである。祭儀は哀悼と悲嘆を数日間も繰り返すもので、その後さらに死んだ者が再生し昇天してゆくことを様々な祭式や踊りなどで歓喜として表出する。しかしこうしたことからはくだらぬ異教や迷妄も生じ来てこれがかなりの域に広まってしまった。いつわりの奇跡を蔓延らせるべく好機をうかがう悪魔の仕業としかいいようもない。

 アドニスはキプロス王キニュラスの息子であるが、この王と娘ミュラーの寓話によって嫌悪すべき近親相姦からの生まれと伝わる。文字通り解釈するならばこれは堕落の例に過ぎぬものであるが、我々の象徴としての理解ではまったく背徳からは縁遠い絶対的な必要条件となる。なんとなれば斯術においては、母と息子あるいは父と娘の統合なくばなにものをも完成させることが出来ないからである。ここでは、いかに血が近いか、つまり一親等か二親等であることによって、結ばれる対組はより稔り大きなものとなることが期待される。反対により遠い親等関係となるほど生産性は乏しくなる。これは人間の婚姻には有り得ないことである。この故にオイディプスは実母と、ユピテルは妹と結婚した。オシリス、サトゥルヌス、《太陽(ソル)》、紅き従僕(セルヴス・レベウス)、そしてガブリティウスもまた同様である。

 『哲学者の薔薇園』におけるバリナスの暗喩は、アドニスについて語る《太陽(ソル)》に自身を表明させている。「汝識るべし、父より与えられし権威によりてあらゆる支配をも凌駕する我こそは燦然たる衣を身に纏ふ。父にも等しき我はその唯一の嫡子にて、臣下のものどもより力と性を剥ぎ奪ひては、父から受け継ぎしうるはしくも軽やかなる衣装をば皆にみめよく着付く。我はいと高貴なりてよろづを圧し、我が従者には我を超える力持つ者なしといへども、我に逆ひて反目するべく定められしもののみ除く。その者、我を破るといへども我が性までは壊すこと能はず。そはサトゥルヌスなりて我が四肢をば千切る者なり。我は母に身を寄せ母は播かれし我が体を掻き寄す。我に従ひ属する万物をば照らし輝きをけざやかに増すは父サトゥルヌスと母を経てなり、こはまた我が敵対者にてもあり」

 以上の言辞は極めて明白なものであって、こうした文言に関して並の知識しかもたない人々の目や心からも曖昧なものを駆逐し、いかなる闇をも払拭してしまうことであろう。まさに陽光を浴びるように、事物と人間の調和を恒久に照らし出している。真実というものは寓意の覆いに隠されてあってすらも驚くべき符合はかくさない。それ自体が対立矛盾していたり他のものと辻褄が合わないものは真実ならぬ偽りであって許容されることは決してない。それらの道が進むべき方角は他所にある。

 
 
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