Tomas Norton ‘Ordinal’ 第5章


互いをうけいれあうものの間に深刻な相違がない状態を、調和という。相違は軋轢となり、それは作業のすべてを烏有に帰する。我らが術を実践せんと望む者ならば誰しもが、調和均衡についての五つの規定を守らねばならない。遵守すべき第一の規範は、学徒の精神がその作業と完全に共鳴し合わねばならぬということである。斯術を識らんとする希求が学徒の精神に優位を占めぬのであれば、作業は不毛なものとなる。第二は学徒が、斯術と、斯術を称する者のちがいを見抜くことである。第三は、作業と器具のあいだの調和である。第四は、執り行われるに適した場所に仕事を割り当てることである。第五は、汝の作業と天球のあいだに存するべき共鳴である。これら五つの規範のそれぞれを、まず第一より説くこととしよう。なにより堅忍不抜の才を与えられた学徒は少ない。得てしてがあまりに性急に過ぎ、そして為すべきことはあまりに遠い。こうした者たちの熱意は六ヶ月もすれば完全に燃え尽きてしまう藁火によく似て、汝が自然に対して狼藉を働くことを望んでいるかのごとき言辞を記す。一週間、一日もすれば考えの変わってしまう者なら幾らでもいる。あるいは術を信じて一ヶ月もの間ひどく熱心になる者もあるが、月の終わりにはすっかり熱意を冷ましている。こうした蝶々どもは我らの術を学ぼうと時間を浪費するべきではなく、直ちにその手を留めて望む通りにどこへなりと飛び去るがよいのである。我々は作業に着手する前に「始めから終わりまですべてを精励恪勤かつ慎重そして静謐に成し遂ぐべし」ということばを真実として肝に銘じねばならぬ。二心ある愚かな者どもはみな例外なく気紛れで飽きやすい。心なき詐欺師に全財産を剥ぎ取られるような単純な輩が、我らの術に根深く恨みを抱くのは当然のことである。ただ粘り強き、志操堅固の者のみがその学徒として適しているのであり、かような人物がこの学問に携わるのであれば、俗人、僧籍、騎士、あるいは修道院長であろうが貴公子であろうが、身分を問わず功を失することはなかろう。そうした者の精神が、この作業との間に調和がとれているからである。斯術の追究に於いて注意を払うべき第二の調和は、適して相応しい補佐の確保である。酒飲み、思慮不足、怠慢、不誠実、大雑把、口が軽い者、不純な者は、助手として選んではならない。素直で謙虚な者は汝の命令を堅実にとりおこない、清潔な手で繊細な作業をする。汝の作業に満足な注意を払いうるのはただこのような召使いだけであり、避けるべきあらゆる奇禍より汝を救う。けれども汝の実験を完遂するに、こうした者たちが二人か三人だけで充分と考えてはならない。汝の物質がなみの分量であろうと、そうした召使いの八人は必要であるし、分量が少なくとも作業には四人が必要となろう。使用人のうち半分が作業に従事する間、残りは床に就くか、礼拝に赴くことができる。実験は昼夜兼行で継続的に注意を傾けねば、成功裡の終局に至ることはない。安息日を除き、汝の召使いは互いに朝と夕に交代せねばならぬ。就業の間かれらは、みだらな言葉も行いも慎重に避けねばならない。さもなくば作業はこの上なく確実に、損なわれるであろう。ゆえに汝の助手のすべては男か女かのどちらかであるべきで、男女が共になって仕事に当たってはならない。また、汝の助手が汝自身の家族の一員であれば、汝は彼らを、作業への愛やその成功への熱意を鼓舞すべく努めればよい。汝のために働く者の情が作業に映じることが何より重要である。我らの第三の規範は、果たされるべき仕事に道具が適しているかどうかである。我らの学問に従事する多くの学徒たちが等閑に付していることであるが、実験の諸々の局面は適した用具を要求し、また素材や形状のうえで密接に、それらが仕えることになる各局面に適合していなければならないのである。我らの物質の分離分割に最も適しているのは小さな容器である。広口の容器は湿潤化するときに必要であり、循環の過程ではさらに大きな容量が必要になる。沈殿析出に使用されるものは長くなくてはならない。昇華の目的で使用するのは短いものも長いものもあるが、四インチ高の狭い容器は調和の過程に理想的である。いくつかの容器は鉛製であるが、死んだ粘土で出来たものもある。死んだ粘土とは、砂礫と混ぜ合わせて注意深く硬化させたもので、非常に高い熱に耐えることができる。他の粘土では火に晒されたときに燃えてしまうので、汝はこれでできた容器を使わない方がよい。さらに石製の容器は素晴らしく熱の試練に耐える。耐水製も耐火性もともどもに備えたこの種の容器を手に入れることは、いまの英国では難しくなってしまったが、入手できれば、それらは我らの目的にこの上なくかなうものである。他のすべての容器は硝子製であり、そして揮発性の物質が漏れ出るのを防ぐに素晴らしく適応している。我々の国では、それらは灰と石英質の原料から作られるが、小さな石からこれを造るところもある。我らの目的に沿う最も良い硝子は、燃え殻から作られるもので、これは一晩中炉床に置かれて白熱されたものである。よりかたく耐久性のあるものは精錬済みの硝子片から作られたものである。以上のことは、最も適した容器の種類を選択するべく汝を導くことであろう。形態や形状については、汝は己自身の統合意識(コモン・センス)を顧慮せねばならない。他のすべてと同じことであるが、この場合もまた汝が能う限り、自然の歩みに密接に従うべく努めるべきことであるのは明確である。さらに汝の容器の大きさと形状は、汝の物質の分量と、他の実験のあらゆる局面に応じて適するようにせねばならない。汝の選択を決定づける普遍的な原則はアルベルトゥス・マグヌスの『鉱物界』に詳らかであるが、奥義のすべては我が師によってほんの数語で明らかにされている。曰く「もし神が我々に容器を与えなかったならば、他の賜物は何ら価値のないものとなったことであろう——そしてそうした容器とは、硝子でできたものである」と。相応しい竈などといった他の道具類もまた必要である。いにしえの先達は、彼らの精神の性向にしたがって独特に考案された、我らが術のあらゆる段階に使える特別な炉について記している。しかしながらこれらの多くはまったく作業に適しておらず、広すぎるものやあまりに丈高いものや、自然の要求には不調和なものがある。こうした書物に記された幾つかの炉はたしかに使い物にはなるだろうが、しかし避けられるべきものとして数えられる器具のほうが遙かに多い。それらは上辺だけの賢者たちによる捏造なのである。是非とも推奨されるべき炉について以下に子細を記すが、これはいにしえの者たちにも知られていなかった炉であり、私自身の発案になることを誇るものである。これにはかなりの高額が費やされたが、私がこれを設えたのが最初の事例である。この炉の有用性は対価を遙かに超える。それぞれに異なった温度の熱を要する六〇種の化学実験が同時進行され、たった1フィート四方の極小の炎が充分な熱をすべての過程に供給するように造出されている。この道具については未だ効力の全てが明らかではないので、一幅の画には描ききれていない。汝がこの画に観るように、さらに別の炉は六〇かそれ以上のガラス器具を置くことができ、それぞれに同一の熱をあてることが出来る。私はさらに別の炉も考案したが、それは分離、昇華、そして分裂除法の作業にひじょうに役立ち、垢離洗浄、脱水粉化や調合をするにいとも素晴らしく適している。六つの作業はこの炉によって同時に、いとも容易に遂行され、すべてを行うに唯ひとつの火で充分なのである。しかしこれは新しい発明であり、私はこれ以上を詳細に記述するわけにはいかない。さらに私は何にも増して危険な炉についても記述できる。こうしたものは、いにしえの者たちが我らのマグネシアを調合するために造ったものであったのであるが、薪から昇る炎があまりに恐ろしく容易には近づきがたいので、煤けぬように古亜麻布が被せられねばならないと言われている。この巧妙に造られた炉を私は存分に改良し、この助けを得て多くの驚嘆すべき実験を完遂してきた。その構造はこれよりさらに数年、秘密を保たれねばならないのであるが、結論として私は汝に示唆を与えよう、汝の炉を選択し造成するにあたっては充分に注意すべし。それは、汝が熱の供給を管理でき、いつ何時でも炎の強さを和らげられるように手配されねばならないのである。もし誰か自身の道具の使途を理解せず知らぬ者あれば、かれのあらゆる仕事はでたらめ、偶然の産物として執り行われ、そして確実性の程度をはかって成功を目指すことは其の者には無理なものとなろう。ゆえにもう一度注意を繰り返そう、汝の道具を顧みよ、そして作業に取りかかる前にそれらの質を検分せよ。第四の規範もまた極めて重要である。実験は適した場所で実行されねば成功し得ない。太陽光が照りつけて過度な光や風に晒され、いつも乾燥している場所もあるに違いない。あるいは充分な明るさがなかったりもする。作業には湿気があって冷たい場所が最適である局面もある。だが激しいすきま風は徹頭徹尾、注意深く排除されねばならない。ゆえに、あらゆる作業の局面の要求を満たすために一定の場所が賢明に選ばれねばならない。賢者らは、我らの物質は九つの閂にて調合される、と謎めいた言辞で我々に語りかける。また占星術師は、我らの作業の正しき場所を見出せば、それは天の恩恵の確たる徴であると述べている。ある場所では素晴らしい効果を生み出した多くの事物が、場所を違えば完全に不毛な結果になることもある。同じ物事でも場所が違えば反対の結果を産むこともまた稀ではないのである。それぞれの場所が諸惑星によって異なった影響を受けているのは、たとえば緯度の違いによって磁石の針に影響があることに現れている。こうした理由から賢者たちは、我らの作業にとっていくつかの場所は良くそして他の場所は避けるべきだと宣言したのである。だが、あらゆる可能性ある場所の中でも最も避けるべき場所とは、色欲に汚れたところである。

第五の規範は、よく学べる者には周知のことであろうが、我らの作業と天球のあいだに確かに存する調和である。我らの石の構成素ほどつよく天球に影響されるものは地上に存在しない。あたかも磁石の影響下に針がなびくように、石の構成素は各々に適する星位にしたがって調合される。星辰のしるしが最もつよい東昇点にあるとき、この協和的調和を優勢にさせよ。そして汝が慈しみ、汝を満たす沖天を、宮の支配者のもとで瑞兆に浴せしめよ。あらゆる敵対的かつ邪悪な影響下から、作業は隔離されねばならない。そうしたものが避け得ない場合には、三分(トリヌス)の星位を求めるがよい。白き染色素の調合にあたっては、月の気運を高めるべきである。それは第四宮の主でもあるが、ふるき賢者たちはこれを、秘められた宝物としている。第六宮は傭僕たちの役に立つ。如何なるつよい妨げからも汝の作業はまもられねばならず、そして、術者の出生の星位から逆に位置するところからは、なんらの影響も期待できないことを解するがよい。天球の運行というものは揺るぎなき規則の影響にこそ特徴があり、第八天の力がそこに資している。諸惑星の力は、まことに正確かつ固有のものである。諸元素はそれを実体化し、化合物の作用を顕現させる。術者の才気に類することが其の一、その手に比されること其の二。第三は道具へと相当し、そして第四は調合された物質へと呼応する。かく、地上の事物を天界の事物に照応させよ、しかして汝は錬金薬液を我がものとし、偉大な達人となるのである。土占者(ジオマンシィ)を信用してはならない、それは御幣かつぎの術である。また占星術をすべて信じるべきではないが、それは、この学問が錬金術と同じくして秘められたものだからである。降霊術(ネクロマンシィ)は神に禁じられ、そして教会に糾弾されている。ゆえに汝もし成功を望むのであれば、あらゆる迷妄の術の実践に手を染めるべきではない。降霊術(ネクロマンシィ)は魔のものであり、偽りの術である。もし汝、我らの神聖なる学問の追究へと身を捧げるならば、神は汝を祝福しよう。次なる章では、私は火の統御を語ろう。

 
 
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