Tomas Norton ‘Ordinal’ 第7章


汝、完全なる師を識るだろうか。そう呼べるのは火の統御と、その程度を解している者である。熱や火の支配統治を軽視すること以上に恐れるべき害はなかろうが、我らの術の総体はこのたったひとつのことに凝縮されていると言って過言ではないのである。というのも、それは我らの物質の適正な発育成長にとってきわめて重要なことであり、そこに作用する熱の程度は強すぎても弱すぎてもならないのである。この点に関しては多くの学べる者たちが嘆かわしくも道に迷ってきた。(1)豚や鵞鳥を焼くに丁度良い程度の熱が、我らが媒介鉱物の煎出や、リサージを発汗させる目的に要するものである。(2)我らの作業の三〇種が、薄いリネンを乾かすに充分な程度の熱を要する。分解の目的には、炙り肉を料理するくらいの熱が適している。(3)炎を円環状に配して均等にあたえられる熱が、物質を分離するのに役立つであろう。(4)しかし諸元素の循環のためには、白き熱が必要になる。それは等しい温度に保たれねばならず、すべての作業が完遂されるまで増加も減少もしてはならない。さらにこの炎はいかなる湿気も含んではならないが、それは目で見たり触れればそれと分かるものである。(5)言葉の上では矛盾しているように聞こえるけれども、湿った火というものも存在する。この火は作業のある段階で使用されるべきもので、容器にこびり付いた物質を除去するために使われる。同じ程度の火が、密な物質を希釈するために使われる。賢者たちは、この高温のなかに乾気が生成し、その効果は、最初に述べた熱の作用と同じであると記している。(6)さらに、湿気で浸漬した物質を乾かす目的で使われる火が存在する。(7)また、保護のための火が存するが、火はその作用のためにすべてを焼損してしまうからである。(8)マグネシアの調合のために火の発散が利用される。それは作業にとってだけでなく、達人にとっても危険に満ちており、その有害な作用は命を奪うこともある。それが故に、汝は口や耳や眼や鼻を厳重に覆わねばならない。この火の煙は毒の十倍は致命的である。この注意を怠って多くの学徒が多大の危害を被った。(9)浸食性の火は、同種の元素を賢明に分離する目的に応えるであろう。一瞬の過剰も、一瞬の早すぎる減少も、ひと月に相当する仕事を損なう可能性がある。正しく火を統御する者は偉大な火の達人と称されるのだ。所与の火がうみだす正確な熱の程度を語ることは極めて難しい。ここでは唯一、視覚だけが頼りになる分析である。確かで分かりやすい説示は記述では全く不可能である。我らの術のこの分野についての完全な知識を汝に与えられるただ独りの女教師は、経験である。この多種の熱について、アナクサゴラスは「すべてを一度に成し遂げうる賢者などない」と言っている。(10)次なる熱の種類は、焼き尽くす獰猛なそれである。それはかなり硬度のある鉱物を精錬するのに使用する。ある程度長い時間保持されねばならないことがあるとはいえ、激しすぎあるいは強すぎてはならない。(11)次なる種類の熱は煆焼のそれであり不浄な金属を浄化するために使われ、その本質的性質は精錬によって減少するであろう。(12)昇華に使われる熱が次に来る。そしてそれによって揮発性の鉱物は浄化される。(13)最後の種類の熱は他のすべてに増して最も重要なものである。それは、我らの「石」の変容(プロジェクション)のときに使われる。しかし経験は良き教師であり、そして私はこれ以上何も言うまい。ただ、この点で過誤を犯した者は作業を始めからやり直さねばならないということだけつけ加えておこう。

さて、私は汝にまるで街から街への道案内をするかのように平明にすべてをすっかり語ってしまった。汝が経過してゆくべきあらゆる国、河、橋、そして村を、私は示したのであり、この案内書を携えておれば、賢明なる旅人には容易に道程が分かるであろう。賢く理解力ある人物は、この書物によって、我らが学問の秘奥に至るであろう。愚かで頭の鈍い輩にとっては、それは意図されておらず、彼らは何も得るものがないであろう。我らの学問は地上の知識の最高峰であり、地位や権勢や権力をもってしては教皇も皇帝も成し遂げうることはなく、ただ徳目と天の慈悲によりてのみ得られるものであるのだ。我らの石は、一心不乱に探し求められてこそ初めて見出され完成されるのである。いにしえの賢者らの著作では、この私の『叙階定式書』に鑑みた理解、真実の内容が完全に述べられている。とりわけこの書物は、汝のあらゆる疑問を解消する目的で書かれた。あらゆることがここでは不足なくありうべき序列に置かれている。ときは、この書物の内容の為に私が一千ポンドを惜しまず費やしたときから始まった。そしてこの最終章に私は三百ポンドを惜しまなかったのである。

達人たちよ、同輩たちよ、我らの学問がここに開かされていることを疑うなかれ。私は、庶民の為すべきことへの期待とともに、紙面に筆を置こう。あらゆる賢者が知るとおり、まさに俗民がこの知識について教化されぬがゆえ、毎年に膨大な富がこの国では浪費されており、あらゆる他の階級の者たちは日々、貧窮に貶められている。我らの術を学べ、学ばざる者よ、そして愚鈍な無知に留まるを甘んじるなかれ。この追究を好むを遅らすは決して良くはない。

私の魂そして生者と死者のために、この『叙階定式書』を読んで恩恵あったすべての者は、祈りを捧げてほしい。

我らが主のときより一四七七年、この書は記さる。

神に栄誉のあらんことを。

 
 
inserted by FC2 system