ヘルメス文書「ポイマンドレース」Corps Hermetics 'Pimannder'
マルシリオ・フィチーノのラテン語訳からジョン・エヴェラルドが英訳した『神聖なるポイマンドレース17の書』(1650年、ロンドン)より、西洋錬金術の伝統のなかで重視されつづけた第二の書「ポイマンドレース」を以下に訳出した。なお一般的読者には晦渋にすぎる「ヌース」「フュシス」「ロゴス」など古代哲学・グノーシス教説的な修辞はすべて廃し、できるだけ現代的な語彙でも読解しうるよう留意した。詳細は各注記を参照のこと。ここでは哲学・宗教的な厳密さよりも、その詩的側面と内容理解を最優先する。
ヘルメス文書は前5~後3世紀ごろ、アレキサンドリアの諸神混淆時代に記された。現在のヘルメス文書研究は「ナグ・ハマディ文書」や「死海文書」のあらたな発見に刺激されており、さらなる学術研究の発展が期待されるが、端的には、それらはすべてキリスト教『旧約聖書』とほぼ同時代に成立をみるエジプト起源の古文書の集大成と理解してよいと筆者は考える。
15世紀末、マルシリオ・フィチーノは、メディチ家の庇護のもと、アカデミア・プラトニカを主宰、プラトン、プロティノスの翻訳・研究に従事する一方『ヘルメス撰集』としてこれらギリシア語文書の初ラテン語訳を成し遂げる。それは、小宇宙と大宇宙の照応から異教哲学とキリスト教の調和までいわゆる「古代神学」を用意し、ルネサンス期における「ヘルメス主義運動」のきっかけとなった。
キリスト教ドグマの中核をなす新旧聖書とは一線を画す、人間中心の魔術的思想がみうけられる点で、「ポイマンドレース」の宇宙観と人間創成は歴史の長い間に、人為としての「錬金術=魔術=意志」の哲学の要を担ってきた。内容は、哲学者・指導者・救済者としての「トリツメギストス」と、認識と言葉、叡智のつかいとしての「ポイマンドレース」のあいだに交わされる対話の形式で記される。
参考文献
ハンス・ヨナス著 秋山さと子・入江良平訳『グノーシスの宗教』1986、人文書院
初期ユング心理学の研究にとっても重要な書物。第七章をさいて「ポイマンドレース」の解説がなされている。
荒井献・柴田有訳『ヘルメス文書』1980、朝日出版社
A.D.Nock,A.J.Festugiere,Hermes Trismegiste I,II,Paris 1972 を定本とした『ヘルメス選集』の貴重な日本語訳集。
ポイマンドレースとして知られる第二の書
かつてないほどに私の想いが《もの》へと強くかりたてられたとき、私の洞察は昂まっていった。それはまるで・・・ひどく眠気を催したときや、食事のあと食欲が満たされたときや、重労働で疲れたときのように、私のからだ全体の感覚はすっかり停止したのだった。
すると、度外れておおきな身の丈の、巨大で偉大な神像があらわれ、私を名指して呼んで、こんな話を始めた。「おまえは、なにを聞き、なにを観たいのか? そしてなにを悟り、学び、なにを認識したいのか!」それで私は聞いた。「あなたはだれですか?」
「わたしは・・・」彼の曰く「ポイマンドレース、叡智の偉大な支配者。最も力強き絶対の皇帝なり。おまえの想いのほどをわたしはわかっている。わたしは何時も、おまえとともにあるのだから。」私はこう言った。「私は学びたいのです、《もの》のなんたるかを。そして識りたいのです、自然界の万物を。そして神を認識したいのです。」「いかにしてか?」と彼は言う。私は答えた。「あなたが教えて下されば、どんなに嬉しいことでしょう。」すると彼は「おまえの学びたいことを、おまえの叡智のなかに、しっかりと保つのだ。わたしがおまえに、教えてあげよう。」
こう言うやいなや、彼はたちまち形姿をかえた。
すると、一直線に、またたく間に、すべてのものが私の前に開けてきたのである。
私の前には、とてつもない光景があった。
すべてのものは輝いており、甘美で、とても晴れやかであった。その眺めに、私はすばらしく喜んだ。
けれども、しばらくするとそこには、ところどころ暗黒があらわれはじめ、曲りくねってくずれ、恐ろしく醜悪なものに変わっていった。私にはそれが、ある種しめったどろどろの自然の、なんともいえず不安をかきたてるものに思えた。それは、炎でも燃えているかのように、もうもうと煙を吐いた。さらにそこからは、ことばにならない声がひどくもの悲しく、もれ聞こえていた。しかしそこには、はっきりとは聞こえないが、別の声もあった。それはどうやら、光のなかからやってくるらしい。
するとその光から、ある神聖なことばがやってきて自然物と結びついた。純粋無垢の炎が、しめったどろどろの自然からほとばしり出た。「火」はとても軽やかで、光をしのぐほどに、鋭く活発な動きをみせた。「風」は、これもまた軽快であったので、火の精霊の後からついていった。「地」と「水」より生じて昇ったので、それは「火」に引っ掛かってそれを頼っているようだった。一方で「地」と「水」は、おたがいに混ざり合ってそこにとどまっており、「地」は「水」と見分けがつかなかった。けれども、それらは動いていた。精霊のことばがそれらを運んでいた。
そのときポイマンドレースが私に言った。「このありさまが何だか分かるか? その意味するところが?」「ええ、認識したいのです。」すると彼はこう言った。「わたしはあの光なのだ。すなわち叡智であり、おまえの神であるともいえる。あの、暗黒からあらわれた、しめったどろどろの自然よりもまえから在る者で、叡智よりいでし輝くひかりのことばは、神の息子なのだ。」「それはいったい、どういうことですか?」と私は言った。「そうさな」彼は応えて「かく理解せよ。おまえのなかで観そして聞くことは、絶対君主のことばであり、おまえのなかの叡智は、父なる神である。どちらも互いに分かたれることはない。これらの和合こそは、生命である」「あなたに感謝いたします。」
ポイマンドレースは「けれども、おまえの叡智の光をよくよくとらえて、それをこそ認識せよ。」と言う。
彼はこのように言い、ながいこと断固とした凝視を私になげかけた。それで私は彼の偉大なる形姿をまえに身震いするおもいだった。
しかし彼がうなずいたので、私はみずからの叡智のなかに観相した。群れつどう光そして、じつに広大無辺にひろがる世界のありさま。
そして「火」は、もっとも偉大な力のなかに包括されて制御され、じぶんの位置を保つように導かれていた。ポイマンドレースのことばの通りに、こういうものを認識し、私はおおいに驚愕した。
彼は再び私に言う。「おまえはその叡智のなかに、原形のかたちを観たのだ。それははるか太古いぜん、無限のはじまりよりもまえのものだ。」
ポイマンドレースはこのように私に言ったのである。「しかし、どこから」私は問うた「またはなにものから、自然の元素はつくられたのですか?」
ポイマンドレースの言うには、「神の意志と熟慮によってである。意志はことばを受けて、理想界のうつくしき世界をみてはこれを模倣したのだ。元素すなわち生命の種子。あるいは、みずからの霊魂によって。かくして世界はつくられた。
また、叡智たる神は、男でも女でもあり生命そして光であるがゆえに、ことばによって、もうひとつの叡智たる造物主をうみだしたのだ。それは「火」と「霊」の神であり、七人の統治者を形成した。かれらはそのまるい領域のなかに実体的な世界をつつんでいる。それぞれの支配のおよぶところは、破滅の運命、あるいは神意の必然性とよばれる。神のことばは、産まれるやいなやただちに深みに沈む神の諸元素より飛び出してゆき、純粋無垢の自然物質へと入っていった。そして同質であるがゆえに、叡智たる造物主と結びついた。
かくして、堕ちてゆく自然の諸元素のほうは、捨て置かれた。
存在のただひとつの原動力である道義が、そこにはなかったためである。
しかし、ことばとともに在る叡智、すなわち造物主は、世界の円環を支配下に置きつつ己が周囲に回転させて、みずからのつくりだしたものたちを、車輪のごとくにまるく輪転させ、そして永劫の初めより無限の終末まで、まわりつづけるままにした。それらはつねに、終わりよりまた始まる永劫回帰なのである。
そしてこれらの循環と経巡りは、叡智の意図するままに、下層からうまれた諸元素から、道義の与えられない、分別なき獣のようなものども、すなわち「空」には飛ぶものを、すなわち「水」には泳ぐものを、もたらした。
一方で、「地」と「水」は互いにわかたれて、叡智の意図するままに、「地」はそれ自身が胎内に宿していたいきものを産み出した。四足の獣、地を這うもの、獰猛な野生、従順な家畜などがそれである。
これらいきものとは別に、万象の父、生命と光たる叡智は、自身の似姿として、《ひと》を産みだした。
それは父のすがたをもっておりあまりの麗しさであったが故、正統な生まれのものとして愛された。いかにも、神はみずからの形態形状をはなはだ愛したので、みずからのつくりだしたものたちのすべてをこれに与えた。
けれども《ひと》は、造物主による万物の創造をみてこれを知り、みずからもまたぜひともこの仕事にたずさわらんとした。かくして《ひと》は父からはなれ、万物生成の天球のなかに身を置いた。もてる力のすべてによって、《ひと》は七人の支配者による万物生成とその創造を学んだ。かれら七人の支配者は《ひと》を愛し、おのおのが治めるところを《ひと》に分担させた。《ひと》は熱心に学び、その核心を理解し、自然のはたらきを担うようになると、心を決めた。この円蓋の境界線をつらぬいて飛び出し、創造の火のもとにおわすかたの力のなんたるかを探ろう、と。
かぎりある命のなかでうごめいている、道義のないものたちの世界。それを統べる全権力を持っていた《ひと》は、かがみこんで星辰界と月下界のつりあいから下界を覗きみた。このとき円蓋の境界線の張力をつきやぶったため、《ひと》はその晴れやかなうるわしい神の似姿を、下界にうまれついた自然物に、はっきりと見せてしまった。
下なる自然は《ひと》を見て、その尽きることのない美貌、七人の統治者たちのすべての作用力、そして神の似姿に、愛情からのほほえみをなげかけた。「水」のなかに《ひと》のすがたを、「地」には《ひと》のかげを、見たのである。《ひと》は下なる自然の「水」のなかに、己のすがたが映っているのを見てこれを愛し、それと共に在りたいと願った。
その想いはただちに作用し、道義なき形姿を生み出した。いまや下なる自然はあれほどに焦がれたものをしっかりつかまえて、《ひと》をすっかり包み込み、まざりあった。彼らは互いに愛欲に陥ったのである。
かくして人間は、地上に生きるものたちを超越しており、二重性をもっている。
すなわち肉体のゆえの限りある命、本質的な《ひと》としての不死。万象への権限をもっていながらにして、しかし運命に従属するがために、死すべきものとして苦しむ。
すべての強制力を超えるものでありながら、その調和力に従うの下僕、奴隷でもある。
父なる神は男でも女でもあり「眠らぬもの」であったから、そこに由来する人間もまた、両性具有でありふたなりであり「眠らぬもの」である。」
こういう話のあとに、私は言った。
「わが叡智よ。私も《道義》とともに在りたいとおもいます。」
するとポイマンドレースは言った。「これは今日のこの日まで隠され、秘密を守られてきた奥義である。《ひと》とまざりあった自然は、まさに驚くべき奇跡をひきおこしたのだ。
わたしが既に語ったように「火」と「霊」から七人はうまれたのだが、その親和力の性質を《ひと》がもっていたので自然は、男でも女でもある七人をうんだ。七人の統治者の性質にしたがってそれらは、崇高かつ荘厳なるものであった。
「こうしたことどもの後には・・ああ、ポイマンドレースよ」私は言う。「私はいまや先を聞きたくてしかたがないのです、本筋から離れないで下さい。」しかし彼は言った「沈黙のままに。はじめの主題はまだ明かされてはいないのだ。」トリツメギストス「御覧あれ、私は沈黙をまもります。」
ポイマンドレース「こういうわけで、かれら七人の誕生が起こったのだ。「風」はかよわいもの「水」は結合を望むもの。「火」から熟成を「エーテル」からは生気をうけとった。かくして自然は、《ひと》のかたちに倣って肉体をつくりだした。《ひと》は命と光から、魂と叡智へと生まれ変わった。命が魂に、光が叡智に、である。そして、それゆえに感覚界に属すすべてのものは、周期の最後のときまで、そのままに留まった。総ての種族の生み出される生成のそのときまで。
さあ、聞くがよい。おまえがあれほど聞きたいと望んだ、話の残りを。周期が充ちたとき、万物のむすびつきは緩みかつ解かれた。神の意志である。かくして、いきとし生ける被造物と《ひと》は両性具有であったが、緩みかつ解かれて、かたや男となり、おなじように、一方は女となった。
そのとき間髪いれず、神の聖なることばが、発せられた。
『ふえよふえよ、みちみちよ。なんじら、いきものよ、つくられしものよ。かのものに叡智をさずけ、おのれの不死なるをしらしめ、あいよくが「死」のゆえんたること、いっさいのかくあるを学ばしめよ』
神がこのように言ったときに、「運命」と「調和」をもとにして「摂理」は、この接合ということを決まりとした。
かくして「生殖」が打ち立てられたのだ。そして、万物はその種族ごとに殖えていった。そのなかで、自己自身を識るものは、善徳に至るあらゆる道をみいだすことができた。けれども、愛欲のあやまちを通ってきたものは、身体のみを愛し、暗闇をさまよい、感覚しうるだけのわかりやすいものの内にのみ留まって、死をもたらすものに甘んじねばならなくなった。
トリツメギストス「しかし、なぜ彼らはあれほどに無知蒙昧な罪を、不死性を剥奪されるようなことを犯すのだろう。」
ポイマンドレース「おまえは、おまえの聞いたはずのことを、わかっていないとみえるな。」
トリツメギストス。「恐らくは、あなたにはそう見えるでしょう。しかし、理解しています。そしてそれらを憶えています。」
ポイマンドレース。「そなたが左様ならばうれしいぞ。おまえが理解するならば。」
トリツメギストス。「教えてください、なぜに彼ら死の内にとらわれたものは、死ぬべき運命なのかを。」
ポイマンドレース。「なぜならば。嘆かわしく惨めな闇が、それぞれのからだ以前にあり、その暗黒とはじめじめと湿った自然であり、そのじめじめした自然からうまれた肉体は、感覚界に帰属している。死はここから溢れてくるのだ。汝、このように理解せよ。」
トリツメギストス。「しかし一方で、おのれ自身を識るものはなぜ、神の御元に帰属しうるのですか?」
ポイマンドレース。「神の言葉がこう言っている。万物の父は命と光から構成され、そこから《ひと》がうまれたのだ、と。」
トリツメギストス。「とてもよく分かりました。」
ポイマンドレース。「まさに。神つまり父は光そして命。《ひと》はそこからうまれたのだ。おまえはこれを学び、そしておのれ自身の命と光よりきたるを信じるならば、おまえは再び命へと回帰しうるであろう。」
トリツメギストス。「しかし、更に教えて欲しいことがあります。我が叡智よ。いかにして私は命へと回帰するのでしょう。」
ポイマンドレース。「神はかく言われた。人間に叡智を授け、留意せよ、熟考せよ、そして自分を識れ、と。」
トリツメギストス。「すべての人間が叡智をもっているわけではないのですか?」
ポイマンドレース。「おまえの言ったことに留意せよ。我、叡智は、聖なる者、善き者、清き者、慈しみある者、すなわち慎重かつ敬虔な者たちのもとにきたる。わたしのおとずれは、そうしたものたちの助けとなる。そして、ただちに彼らはすべてを悟り、愛情をもって父に和み、祈る。子から親への想い、天賦の愛のもとに、父のほうへ向き直り、心の命ずるところに従って、神を讃え感謝し、そして聖歌をささげるであろう。
それとは反対に、その肉体を死にゆずりわたす前に、彼らは感覚(的なもの)を憎んでいる。それがいかに働き、どう作用するかを知っているからだ。
むしろ、叡智であるわたしが、肉体おいておこる感覚の働きと作用が、完全に成就してしまうのを許さない、とこそ言うべきか。
運び手として門番として、わたしは邪悪なものの侵入をふせごう。
そして汚濁の欲望の誘惑を断ち切ろう。
けれども。おろかな者、あしき者、よこしまな者、ねたみそねむ者、血をこのむ者、神聖を汚す者どもからは、わたしは遠くへだたったところに居る。こうした者どものことは、復讐を旨とする鬼神ダイモンにすべてを一任しているのだ。それは者どもにするどい火を点け、それは者どもの感覚を刺しつらぬいて、さらなる邪悪へとかりたてるのだ。果てなき懲罰を受けることになろう。このような者どもは、満たされない色欲と飽くことなき劣情のけっして止むことなく、いつまでも暗闇であがいている。ダイモンは間断なくこれを悩まし苦しめ、ますますの火を焚きこむのだ。」
トリツメギストス「叡智よあなたは私の望みのままに、かくも素晴らしくすべてを語ってくださった。けれども、更に教えてください。回帰のあとには、そこに何が待っているのでしょうか。」
ポイマンドレース「まずはじめに、物質組成されている体の分離変換のなかで、体そのものは変成にゆだねられ、姿形は不可視のものとなろう。そして、鈍重な肉体のありようはダイモンに引き渡され委ねられ、そこに存った感覚らは部位ごとにわかれて再び作用因へと上昇し、それらが来る根源へと戻ってゆく。激しい感情や劣情などは、獣のような、あるいは道理なき自然へ帰りゆく。かくして残ったものは調和力によってまっすぐに上へとあがってゆく。
第一圏では、増加・減少という作用力の悪徳を、その身から返還する。
第二圏では、陰謀の、邪悪なるくわだて、効力ある計略・悪知恵を。
第三圏では、欲情の怠惰なる計略を。
第四圏では、支配欲、その満たされぬ野心を。
第五圏では、不敬なる大胆、軽卒かつ無謀な自己過信を。
第六圏では、富への邪なる虚しき衝動を。
第七圏では、いつでもそこに潜んでいる巧妙なる虚偽を。
かくして、完全な調和のとれているすべての作用力から解き放たれ、ほんとうの力をとりもどして、第八の圏の神聖なる領域に至るのだ。第八圏にいるものすべてとともに父なるものに賛美をささげ、そしてそこにいる晴れがましき存在は、おまえの帰昇を祝福する。おまえは第八圏にいるものと同質になり、さらに第八圏を超える彼方からの影響力が、神への賛美歌をたえなる声でうたうのを耳にするだろう。
たしかなる序列にしたがって、第八圏のものたちは父のもとへ回帰する。自らが、みずからを力へとゆだねるのだ。そうして神がもっている力そのものになってゆく。
善きことかな! これが神格化されるべく知をもつ者たちの究極である。
さてそこで、おまえは何をためらうことがあるのか。すべての人間種のなんたるかを識ったというのに。おまえは指導者となり、その価値あるものたちの求道の統率者となるのだ。ひとの種族、人類が、神によって救われるために。
ポイマンドレースは私にこう言うと、力と混ざり合った。
もはや見えぬ彼に感謝の意を示た。そして万物の父を祝福すると立ち上がり、神的な力を得て、自然についてを教示され、すべてを見渡す偉大な光景をみた。
そして私は、敬虔と知識のうつくしさすばらしさを、ひとびとに伝導しはじめることになった。
「地より生まれし民よひとよ。酩酊し、眠りをむさぼり、神をしらず。自己を見失うものたちよ。覚醒せよそして過剰を止めよ。汝らは、獣のごとくに、道理なきねむりに呼び誘われている。」
すると私の話を聞くものは、ひとつの心のもとに進んでやってきた。そこで私はさらに話を続けた。
「なぜに、ああ汝ら、地より生まれた人の子たちよ、なぜに死にあまんじるのか。汝らには不滅の性が、その力が、いくらかは残されているというのに。もういちどよく考えるのだ(悔い改めよ)、そして叡智を呼び覚ませ(考えを変えろ)。汝らはこぞって誤りの道程を歩んでいる。無知ゆえに闇の淵にたっている。暗黒のともしびから離れよ、不滅の路を歩むべし。腐敗を捨て去るべし。」
私の話を聞いてある者たちは、あざけりわらいながら去って行き、死への道程にみずからを委ねた。一方では、私の足下に身をなげだし、教えを請う者たちもあった。私はそういう者たちを立ち上がらせ、種の指針たるべく彼らに教えた。なぜに、いかにして、救済のもたらされるかを。私は智慧の言葉を蒔いた。不死をもたらす「アンブロシアの水」で育んだ。太陽のかがやきが彼方に沈み、夕暮れが訪れると、私は人々に、神への感謝をするように言った。人々は感謝のつとめを終えると、皆は家路についた。
ひとり残された私は、ポイマンドレースの慈しみあふれる贈物を心に銘記した。私は、知りたかったことを満たされて、心底うれしかったのだ。肉体の眠りは、叡智の覚醒となった。眼を閉じると真実の光景がみえた。沈黙には善徳に充ちた子が宿った。言葉をつむげば、善が花咲き実を結んだ。以上が、私の身に起こったことである。私は叡智より授かり、それはポイマンドレース、《ことば・知らせ》の支配者であった。かくして私は神より真実の啓示を受けたのだ。こうしたことにのもとに、私は全霊全力を挙げて父なる神に賛美を捧げる。
「聖なるは、万物をつくりし父なる神。
聖なるは、その力によりて意志を成就し具現せし神。
聖なるは、識らることを決め、御身の子らに識らるる神。
聖なるは、ことばによりて万物をうちたてし貴方。
聖なるは、ありようを自然に与えたまいし貴方。
聖なるは、自然に形を与えなかった貴方。
聖なるは、あらゆる作用力よりつよき力をもつ貴方。
聖なるは、あらゆる美徳を超越せし貴方。
聖なるは、あらゆる賛美を超越せし貴方。」
受けよ、まじりけなき魂よりの道理ある聖別を。その心は貴方へと差し伸べられている。ことばにならぬことばによって。沈黙をもって賛美す。我は懇願す。知識に誤りなきように。慈悲のまなざしを我に与えよ。恩恵によりて啓示し、我がともがら、貴方の子らの無知を許したまえ。貴方を信ずるが故に命と光のなか証を立てる。父よ、貴方を讃えん。ひとは貴方とともに神聖なものにならん。貴方がそれらすべてに力を与えたのだから。