Tomas Norton ‘Ordinal’ 第4章


偉大なる作業の詳細を説くと約した、その責務から逃れようとは思っていない。汝に真実を伝道せんとあらゆる尽力を傾け、能う限り完全に奥義へと導こう。誓約の損なわれぬ限り私は汝の案内となり、汝の望む終局へいたる道を示そう。けれども、ことは曖昧に仄めかされ、斯道のさまざまな局面は混乱を生む。それらが、いにしえの著者たちの意図に由来するものであったことに思いを至らせるならば、私がこの責務を果たす難儀をも解されることであろう。我らの術の作業について、或る点を超えて明かした者はかつておらず、ゆえに汝、もしある著述を完全に理解したとしても、術の実践が可能になるわけではないのだ。アーノルドはその著『多くの径』の中で、我らの術の核心をなす秘奥とは礎となる物質を知ることである、と述べているが、この著作ではいかに純粋かつ単純な本質というものが認められるかが開陳され、我らの根本物質は或るふたつのものであると記されている。しかしアーノルドは、これらをいかにして手に入れるかについては教えていない。それらの物質の名は汝が前章ですでに学んだものであるが、修道士ベーコンはこの点についてより完全に詳説している。曰く「あらゆる部位を、起源おなじくする元素へと分離せよ。学ばざる者はこれを能くせず、頑固かつ無感覚にあれやこれやの分離可能な物質を加え続ける。——そして術がまさに今その花を満開にする夢想に溺れつつも、その実、あやまりを増殖させているのである。」この一節でベーコンは、その先達らと同じく、多くを語ることを恐れているようである。おそらく汝は、アヴィケンナが『門』に記したところを想起するであろう。「そなたは自然の実相に即した真実の教えに従って、完全化を進めねばならない。飲むには食わねばならず、食うには飲まねばならず、その間には発汗をするものである。」ラージスもまた同じ過程について見解を表明しつつ、物質があまりに速く滋養を消費してしまうことを戒める。「その糧となるものは少しずつ同化させよ。」真意を正しく酌めるならば、この規定事項については預言者マホメットもまた言及していることに気付くであろう。「汝は地を訪れそこに注ぎ、汝はその富を増した。汝は実るべき土地を涸らし、その不毛なるところに河川のうるおいをもたらしたのである。」充分な食餌と飲料が与えられたときには、眠りを欲する物質を看護する必要がある。我らの仕事は細心の注意のもとに不寝番を必要とし、それは栄養価の高い滋養によって育まれねばならない。「故に、いかなる貧しき者にもこの作業を慎ませよ。斯術は世の富めるもののためにある」とアーノルドは記す。——これら言辞の真性が、卑しき輩を苦しめることは私自身が請け負うところである。その先は「さらに、探求者は忍耐強く心静かにあるべきで、なんとなれば性急なるは決して終局には至らぬ故」と続けられている。物質の浄化に要する一定の期間というものは、そこに信を置けぬ者にとって躓きの石となる。ゆえに導こう、汝貧しき者よ、この不可解事の解決を試みるなかれ、そして手遅れにならぬ内に作業を止めよ。四分の一オンスの欠片すらが多くとも少なくとも、一週間の作業は一時の内に完膚無きまでに烏有に帰すであろう。汝が穏やかな熱によって調合せねばならぬ物質は、激しすぎる起沸に晒されぬ限りは火にくべておいても構わない。汝は穏やかな煮沸のもとでゆるやかに消散させねばならず、性急さに駆られて大きく泡立つ状態にしてはならないのである。穏和と忍耐こそが汝に安全な方式をとらせることとなろうし、探求者の途を悩ませる数多の危難を避けうるものとなるだろう。作業の全体を俯瞰するに最も困難な作業のひとつとして、我らの媒介鉱物の分級ということがある。ここで利用される多様な媒介物は、作業が成功の終局に向かっているのであれば、すべて高度に浄化された状態にされねばならない。浄と不浄、成熟と未成熟は、もとより激しく互いに対立するものであるから、安定したものは自ずと凝固物質を志向し、揮発性物質は揮発するものに共鳴して引き寄せられる。あまねく自然界は類似を類似に導くことで調和を生み出そうとはたらく。かくして、我らの作業の全体は総じて混成物にまみれた不純なるものであることがわかる。そしてそれは困難と危険に満ち、叡智の彼方にまで知性を働かせることを要求し、そして無知の愚挙を破滅に追いやり、かくなるうえで我らの「物質」をあらゆる異質より清めねばならぬのである。多くの場合、愚かな学徒はこの点に於いて混乱をきたし、アナクサゴラスの言辞が真実であったことを証明する。曰く、何人もまた耐え難き経験から思慮分別を身に付けねばならぬ。昨今、この不潔な作業で潔癖な人士の手を汚すことのないようにと、純粋なマグネシアが他の媒介鉱物とともにカタロニアで売っているということを、さる賢者が語るのをかつて私は聞いたことがある。これが偽りなき真実であるならば、ともに我らの作業の開始から完了までが、従来の状態よりも容易になることであろう。汝が、私のせねばならなかったあらゆることどもを強いてせねばならぬのであれば、適正な作業に着手するが早いか気息奄々となることであろう。賢者の作業は、あらゆる物質を浄化するまで始まらないのである。万物を補完する染色素を求めるかぎり我々は、不純物を取り除かねばならぬことを銘記するべきである。種を違える媒質は、その本質的な性向にしたがって、各々それ自身の特性と、各々それ自身の様態を決める作用をもっている。我々が実験を進めるこれら媒質の性質には、助けになるものもあれば害になるものもある。今日の薬剤師たちは自分の調合したものの蘊奥までをもを解しているわけではなく、我らはそういう輩を手引きするのを拒む。なぜなら我らは、かれらが熱心かつ誠実な苦心のもとに自分たちの薬剤を純一なものに高めようとせず、むしろ買い手を欺こうと混ぜものをして純度を落としているのを知っているからである。苦い経験から私が知ったことだが、あてにならぬ物品を設えては高値をせびる、これが彼らの仕事というものなのだ。さる効果を期する素材もつ者あれば、その者は手ずから泥にまみれるを恐れてはならず、たとえそれが秘蔵の財貨の全てを蕩尽せんとしても、出費など惜しんではならないのである。作業の全体を俯瞰するに終局から遠き者ほど、到達を望んでひどく慌てるものである。もし我らの偉大なる作業が、それに付随するすべてとともに、三年で熟達できるものであれば、学徒らは自らを幸運であるとみなすことであろう。それが一旦、充分な終局に導かれてしまえば、再びそれに着手する必要はなく、まさに、その人物が彼の医薬の増大術に熟達していれば、である。そしてこの技術の達成は、我らが変成術の偉大なる目的のひとつである。術に必要となる種々の鉱物については、アルベルトゥスが完全な吟味を遺しているところであるので私が繰り返す必要は無かろう。ここではむしろ鉱物の特性について記したいところだが、まずは我らの術の進捗において、不毛なる結果をまねくことを明らかにしよう。成功するために最も大事なことは、実地操作を正確無比に執行することであるが、多様な実験操作の術式に途方に暮れる可能性があり、この道には一歩毎にほとんど克服しがたい困難が存する。それゆえ、先人たちが我々に遺したことを信じよ。なにごとも経験なしに正しく為されたことはないのである。要求される全てにおいて、あらゆる状況を熟考し、一貫した伝統を守るべく注意せよ。素材、形状ともに簡素なひとつの容器を用い、危機に直面したときに事故が起こらぬよう混合物質の組成には油断するべからず。かような普遍的な訓戒があるので、私はここで千もの特別な注意をあらたに定める必要はないし、そうした煩雑なことを汝は記憶せずに済むうえ、こうした訓戒は我らの術の実践に余念ない賢き者にとって充分なものである。そして傭僕たちが誠心誠意の者ならば絶え間なき苛立ちから解放された汝は存分に実験を実行できる。ゆえに、作業の全体を通して私の勧告に従い、如何なる器具からも解き放たれるがよい、そして決して、妻子ある者を引き込んではならない。そうした者らは疲れ倦むとすぐに辞めたがって対価を要求してくることになる。私自身の体験から請け負うところであるが、傭僕は確実に明文化された労賃で雇うべきである。彼らを傭うに、あまり長い期間を与えてはならず、一度に二十四時間以下にすべきである。別のどこかで受け取る以上の高い労賃を与え、汝の支払い下で敏活にいつでも動ける状態にさせるがよい。汝が親切に扱えば、傭僕は心中に敬愛の念をかき立てられ、託された作業を熱心に遂行する。一方で、奉公が怠慢である際にはすぐに放り出される身であることが、彼らにはよくわかっている。妻子ある者はこうした短期間の契約に同意しないものであるから、結婚した者は避けるべきである。私自身、予めこの原則を知り、その通りにしておけば、より喪失と苛立ちを避けることが出来たであろうと遺憾なのである。我らが術を営むにあたっては、汝はいつ何時でも自らの行動の自由を保持せねばならない。そして時に応じ、その厳格な労役から或る重宝便利な気晴らしによって精神を解き放つべきである。さもなくば、汝の精神は憂鬱と自暴自棄に拉がれてしまうであろうし、汝は汝の作業の継続への熱意を失うであろう。この章ではもはやこれ以上に語ることはない。いにしえの著者たちがすでに充分、私が手をつけず仕舞いのことをもすべて語っている。しかし彼らが等閑にしたことを、この書はより平明に説いた。だからこそ、此の書は錬金術の叙階梯式書と呼ばれ、斯道を説いた他のあらゆる作品の補充なのである。続く章では作業の玄妙なる局面について観察さるべきあらゆる規範を示し伝授しよう。

 
 
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