闇よりおのずからほとばしる光 La Lumière sortant par soi-même des Ténèbres


錬金術詩『闇よりおのずからほとばしる光』は、ファーガソン・コレクションには1688年パリ刊行のものが収められているようだが、ベルナール・ロジェの序文では1666年に最初のラテン語版が刊行されたとされている。他の多くの錬金術文書にも増してこれについての文献目録は錯綜しているが、ヘルメス叢書の後書きで有田忠郎氏は、「こうした矢継ぎ早の刊行は、17世紀末における錬金術文書への一般の需要を垣間見る小さな手がかりにはなるであろう」と述べている。また一方、先のベルナール・ロジェによる序文では、「デカルトの時代と商業主義の隆盛」のなかでのヘルメス哲学の問題が主題になっており、科学史の変遷を時代精神の側面からとらえるのみならず、現代人が錬金術文書に触れる意義を模索する上でも、示唆に富んだ内容になっている。

以下に紹介・訳出する第1歌、はやくも明らかなのは他の一般的な錬金術書のとる「達人から読者に与える奥義」という態度とは異なり、「ヘルメス学の識者よりご意見を乞う」形式をとっている点である。これはヘルメス思想が急速に後退してゆく時代精神の変遷を予見したものか、それともクラッセラームの巧妙な、なんらかの意図によるものなのか。

第1歌 ————————————————————————————————————————————————


I


最初の声、全能の御言葉「ひかりあれ」とともに深い無の底から、


    暗い混沌が塊をひしめかせながら現れた。


あまりに形がなかったために、これはとても神の御技とは思われず、


    あたかも無秩序のいたずらかにみえた。


万物はそのうちで深い眠りにあり、元素たちも曖昧であった。


なんとなれば神授の精霊が、いまだそれらをへだて居らぬがゆえのことである。


II


かようなときにいったい誰がはからい得たものであろうか。


        如何にしてかくも天と地と海がかろくかたちをなし、かくも広大にひろく拡がることを。


いったいにして何者が、解きえたものであろうか。


        太陽と月とがその光と運行を身に帯び、そのもとで万物のすがたを


        人間らがいかに眼の当たりにするかを。


万物がおのがじし有様をわがものとし、精霊によって命を吹き込まれ、


        いまだ采配振られざる混沌の不浄より来たって、法によりて質と量を制定される


            そのなりゆきを、いったい誰が解し得ようか。


III


嗚呼、汝。聖なるヘルメスのまねびに就く息子らよ。


汝の父祖の学問は、ただそなたにのみ、自然のありようを明した。


いかにして神の不滅の掌が、かたちなき混沌の塊から天と地を造りあげたか。


それはただ、そなただけが識ることである。なんとなれば


        哲学の錬金薬液の造成と、神の万物創造の過程がまったく違わぬことを、


        汝の偉大なる作業が鮮明にみせつけるからである。


IV


かように偉大なことを描き出すに、我が筆は貧弱すぎる。


私はこの学問の未熟者にすぎず、未だになんらの功もない。


汝らの明哲なる著述が、私に目指すべき真実の終局を感得させ、


        私はこのイリアステルを識るにいたった。それは我らの必要とするすべてを内部に秘め、


        この驚くべき混合物をつうじて汝らは、諸元素の彩をもたらすことを可能にした。


V


汝らの秘密のメルクリウスを私は識らぬものではない。それは


                活ける、普遍の、天賦の精霊にほかならない。風を舞う蒸気のありさまをして


絶え間なく天より地へとふりそそぎ、そのどん欲な吸収をみせる腹を満たそうと励む。


そして不浄な硫黄のなかにやどって成長しつつ、揮発から不揮発へと、


                その性質を変転させる。かくして自ら、根源的な流動質の形姿にかわりゆく。


VI


さらに私は識らぬものではない、卵を模した容器は玄冬にて封じられねば


        肝心の煙霧を逃してしまうであろうことを。我らの愛児は、巧みな技と


        山猫(リンクス)の眼でもってすばやく護られねば、産まれるやいなや直ちに


        死するであろうことを。さもなくばかれは、人の身と同じように、


                母胎にては不浄なる血潮にはぐくまれ、地上に産まれては乳に拠ってながらえる。


かくて己が体液で自身をたもつことがならぬよう、成り果てる。


VII


こうしたことのすべてを私は識っているとはいえ、読者よ、そこに証をたてるに


        私は躊躇せざるを得ない。数多の誤謬がいつも私を悩ませる。けれども、


        そなたがもし悋気よりもなお憐憫にこころ動かされるならば、私を押し留める


あらゆる疑念を払拭しては呉れまいか。もし幸いにもこの書のなかで、


        汝の術の一切を確然と述べえたならば、私は汝に願う、私にこたえを与えて欲しい。


識るべきことに充分ならばいざ、為すべきをなせ、と。




第2歌 ————————————————————————————————————————————————


I


ヘルメスの学問に精進せず、欲深い邪念にとらわれては、


        言説の調子にふりまわされて過誤を犯す、輩のなんと累々たることか。


水銀やら金やらの、俗なる呼び名をうのみにしたまま、


        作業に就いてしまう、そうした過失が常なのである。


また、卑俗の黄金をもちいて穏やかな火にくぐらせば、ついには


        捕らえがたきあの銀を固着できる、かれらはそう思いこんでいる。 


II


だが、かれらが精神の眼を啓い秘められた、著者らの真意を


        解することができたならば、卑俗の金と銀が普遍の炎を欠いていることを


        まざまざとと眼にしたであろう。それこそが、ほんとうに事物に変化を


        もたらすものであるのに。この動因、すなわち精霊は、炉に入れられて


        激しい炎に晒されると飛び去ってしまうのだ。こうして金属というものは、


            その鉱脈から切り出されて精霊を抜かれてしまうと、死んで動かない


                    ただの骸と成り果てる。


III


ヘルメスが言及したのは、こんなものではない。違う水銀、異なる金である。


湿潤で暖かい水銀は、火のなかにも絶えず、普遍に存するものである。


その金とは、火そのもの、命そのものである。


卑俗の金銀、死に切って正体も無い骸と、生命欠くことのなき我らの


        物質の精霊とは、かく容易にも識別されるものである。


IV


嗚呼、すばらしき哲学の水銀よ! そなたの内には金と銀がともに在る。


そのどちらもが、事物をそれとなさしめるものから引き出されるがために。


メルクリウス、それは太陽でありかつ月でもあり。ただひとつの三重の物質。


そして三のうちに存する唯一の物質。嗚呼、なんと愕くべきもの哉!


水銀と硫黄と塩は、三物質がただひとつの物質に結実する姿を、私に見せるのだ。


V


とはいえ一体、あの金をも造りうる水銀は何処に在るのか。塩と硫黄に溶け込み


        根源的湿性となって、金属種にいのちを与える原種は何処に。


あまりにも堅固にとざされているために、精励刻苦のわざが手を貸さねば、


        自然それ自身ですらこれを抽き出すことは能わない。


VI


だが、斯術のなにを為すものぞ。ひたむきな自然のたくみな補佐役たるもの、


        それは蒸気の炎をくぐらせて、牢獄にいたる途を浄化する。


絶えざる穏やかな熱よりほかに、よりよき案内者も確実な手段もなく


        それによってのみ、我らが水銀を桎梏より放ちうるのである。


VII


左様、左様。屈することなき悟性もつ汝、もとめるべきは唯この水銀である!


なんとなればこの中にのみ、汝は賢者らが必要とした全てを


        見出すことが出来るゆえに。その中では、月ならびに太陽の、


        因り来る力が結合しており、これが結合するには、卑俗の金も銀も必要なく、


                そして銀と金の真実の、種子をつくりあげるのである。


VIII


だがいかなる種子もまた、あるがままでは詮無きまま、


        腐敗し、そして黒化せねばならぬ。生成には腐敗が先立つもの、


        自然のあらゆる変転はこれに違うことはなく、また我らがこれを模倣せんと


        するならば、白化に黒化を先行させねばならない。さもなくば、


                無用の廃物をうむだけである。




第3歌 ————————————————————————————————————————————————


I


嗚呼、汝。術によりて金を造らんとする者よ。汝らはいつも


        焼けた炭の炎にまかれつつ、際限のない策を弄しては、


        あれやこれやのまぜものを 固めたり、溶かしたりしている。


あるときは完全に融解させ、またあるときには端々を凝固させ、


        灰まみれの蛾のように 炉のまわりを行きつ戻りつしながら


                昼夜を過ごすは、何故のことなりや。


II


今すぐ止めよ、みずからを無駄に疲弊さすことを。


おそれるべきは、狂気の望みが思索のいっさいを煙にすること。汝の作業には


        ただ無駄な汗かきあるのみで、それは汝の荒れた隠棲の庵にながれる憂鬱な刻を、


            汝の表情に刻みつけよう。斯くの如き獰猛な火炎なぞ、なに有益なことあろう。


賢者らはヘルメスの技を施すに、熱せられた炭も、火のついた薪も使いはしない。


III


地中ふかく自然の営む火、これぞ術の用いるべきものである。そしてそれこそ


        術が自然を模倣する仕儀となる。煙霧の火、それはしかしながら軽やかでなく


        焼き尽くすことなく育む火。人為にてしつらえられし自然の火。乾きつつも


        雨をもたらし、湿りつつも乾かす火。物質を洗いつつも手を濡らすことのない


        火を消す水である。


IV


自然の模倣をめざす術がもちいるべき火とは、かようなものであり、かように


        一方は他方の足らぬを補わねばならぬ。自然が開始したことを人為が締めくくり


        自然が清めきれぬものはただ人為のみが浄化しうる。術は精緻であり自然は明快である。


            ゆえに一方が前途を一掃すれば、他方はすなわち歩みを留める。


V


種類を異にする多くの物質、容器や蒸留器にあってそれらは、


        如何なる役に立つというのか。火とおなじように、我らの求めるものが


        単一種であれば。左様、それは唯一のもの、それはどこにでもあり、


        富める者と同様に貧しき者をそれを持ちうる。誰にも知られず、


        しかも何者の眼前にも、それは存する。卑しき無学の者にすら


        泥土のようにさげすまれ、あまりに安く売り払われる。


されども、その真の価値を知る賢者には貴重で尊いものである。


VI


無学なる俗衆の歯牙にもかけぬこの物質こそ、碩学らが慎重に求めるところである。


なんとなれば、これには求めるところのすべてが存するゆえに。この内にこそ、


        死せる卑俗のそれでない、太陽と月がともども休らう。この内にこそ、


            火は存し金属が生命を得る。燃えさかる水、定着せし地を与えるのはこの物質である。


ただしき智恵を賦与されたる精神へと、欠くべからざる一切を与えるのはまさに


        この物質である。


VII


賢者はただひとつの化合物を充分とすることに思いを致さず、愚かしき化学の徒たる


    汝は、幾つもの生成物を寄せ集めるのに拘らう。賢者たるもの、容器はただにひとつだけ


    穏やかな太陽の熱にて煮沸し、ただにひとつの蒸気をばゆるやかに凝縮させるというのに


        汝らは千もの異種の成分をごたまぜにする。神は無から万物を創りたもうたに、


            汝らはすべてを無に帰してしまう。 


VIII


やわらかいゴムではない。かたい糞便などでもない。血液でも精液でもない。


緑の葡萄、薬草の精髄、硝酸、腐食性の塩、ローマの硫酸、乾燥した滑石、


        不浄なアンチモンではない。硫黄でも水銀でもない。もちろん卑俗の金属種ではない。


        それを可能にする術師が、我らの偉大なる作業を執り行うのは。


IX


かようなまぜものが何の役にたとうか。我らが学問は、まったき秘奥を


        ただひとつの核心に封じているというのに。それについてはおそらく、


        このうえなく充分、すでに汝に説いてしまった。


この核心がふくむふたつの物質はまず、ただ金と銀の原動力にすぎないが


        我々が、能くそれらの重量をひとしくしうる限りに於いて、ついには、


                金と銀たりうる活力となる。


X


左様、これらの物質はその重量をひとしくすれば、現実の金と銀を造り出す。


揮発性のものが黄金の硫黄として固着する。


        嗚呼、燦然たる硫黄よ! 嗚呼、真実活きたる黄金よ!


太陽のもつあらゆる驚異と、あらゆる美徳ゆえに、私はそなたを敬慕する。


そなたの硫黄は至宝、そして術における真実のいしずえなのだ。


        それこそが、自然はただ黄金として結実さすところを、エリクサへとはぐくむのだ。

 
 
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