沈黙の書 Mutus Liber,1677

 『沈黙の書』は、文字・ことばによる解説の無い、まさに「沈黙せる」書物である。とはいえ、高度に専門化された領域は、いかな「ことば」による解説があろうとも門外漢には「沈黙」しているのと同じである。専門用語というものは、その暗号めいた記号の読解に一定期間の精進修行を課すものである。なんぴとたりとも、いかなる専門領域にも、土足で踏み入ることは許されないのだ。

 今世紀最大の隠秘学の権威フルカネリは、フランス各地の教会堂建築すなわち「大聖堂」の建築彫刻に錬金術の奥義との関連を見た(『大聖堂の秘密』)が、もともとあのゴシックの大聖堂の偉容、そして立ち並ぶ荘厳の彫刻群も、比類なき薔薇窓も、天さしてもゆるステンドグラスたちもまた、すべてが「無言」のままに民衆へと語る「沈黙せる=雄弁なる」聖書であった。

 文字・言葉によらぬ「書物」はまた一方で、深遠なる事項を効率的に「記録」「伝達」する「記憶術」の領域をかたちづくる。奥義をより効率的に伝えると同時に、性急に専門領域に入り込もうとする誠実でない部外者を駆逐するには、蒼古たる饒舌な古文書の類よりも、こうした言葉なき『沈黙の書』が適していた。

 重厚な石の森のごとき大聖堂の冷たさは、じつに忍耐を要する場所でもある。祈らぬ者、不敬虔なる者が容易に「奥義」の掴めるところではない。けれども、熱意もて何らかの隠された秘密をもとむ者には、それらは必ずや、与えることであろう。

書誌

1677年、ピエール・サヴールによってラ・ロシェルにて刊行された、言葉なきままに錬金の奥義・作業過程を語る重要な書物。著者アルトウスの身元は不明。Altus はすなわち Sulat のカバラ的変換によるもので、ポーヴェール版に付属する、王への勅許状にある署名 Jacobus Sulat のアナグラムであるという。かつまたこれは第15図にあるヘルメス学の格言『開眼せし汝は往く』 Oculatus abis をも想起させる。マンゲトウス『神秘化学論集』(1702、ジュネーヴ)には無名の彫刻師による復刻が掲載されている。現在おおくの書物に引用されているのはこの新版であろう。オリジナルにはいくつかの背景がない。以下の寓意的価値は数百年に渡って保持され、ここには「隠すこと」と「教えること」の相克がある。

 
inserted by FC2 system