象徴一六 翼もつ獅子、もたぬ獅子。



四足獣を統べる獅子 かぎ爪の鋭きと力つよき性を具し

敗退をよしとせず 戦ふに恐るることなし

其に手足掴まするは有翼の牝獅子なり

身を引き逃るるものの 牡に巻き付かむと欲す

されども後者は動かずに地表に立ちて 牝に飛ぶを許さぬ

かやふな自然の象徴が 汝に道を示すものなり


 ライオンが他の動物を圧倒するのはもっぱらその雅量によるのであって、実際的な見地から言えばライオンの肉体や力の強さは他の動物よりそれほど優れているとはいえない。圧倒的な数で敵に狙われていると察知すれば、ゆっくりと退却するのだが、これは走って逃げることを恥じらってのことである。追手の視界の外となれば一目散の遁走に及ぶが、その卑しみはこれを隠す努力にて埋め合わされるわけである。獲物の背後からでも飛び掛かるほどの機敏さを備えていながら、退却のときにはその能力を発揮することはないのである。ライオンの骨は空洞がなく強硬であって、鋼や燧石とともに火を打ち出せるほどであると言われる。ライオンは他のなによりも火を恐れるが、これはライオンの出自が太陽の性に導かれている由縁であろう。ライオンはその獰猛さと熱情でも他の動物たちを凌いでおり、これは太陽が他の天体へと力を及ぼしているのによく似ている。燃えるように見開かれたライオンの眼は、ぎらつく太陽の燃える眼の大地を凝視するがごときものである。
 地に低く構えて眼を逸らさぬ挙動は牝ライオンにも見られることで、そのようにして狩猟者の槍に脅かさることなく我が子のために戦うのである。牝ライオンは豹と通じることもあるが、牡ライオンの恐るべき剛力のもとに死の懲罰を受けることを危惧して同族への罪の意識におののき、河の流れのなかに密通の臭跡を洗い流してこれを覆い隠すという。
 驚くべきこの野生獣の性質へと哲学者らは耳目を峙て、多様な寓意をここから導き出しては、その秘術へと言い及ぶ数多の書物の判じ物にそれを用いている。他者への断固とした懐疑ゆえに自らを欺くことのない堅実な動物としてライオンを捉えることで、その高貴な性格は、哲学者の作業に於ける最重要の部分に準えられる。ライオンのもつ逃げ腰の側面ですら、哲学者の物質の少々の揮発性にあたるのである。また、ライオンの骨の高い硬度は、哲学者の物質の硬さと不屈さである。牝ライオンはといえば不倫と無縁なわけではなくけっして純潔とはいえないけれども《月(ルナ)》や《水銀(メルクリウス)》もまたそうで、一点の汚れなきものとはいえない。未熟な導士たちは、あれやこれやとやたらな物質をこれに結合してしまうのであるが、それは正当な婚姻よりも自然に反した不義の結合のほうがなされやすいことの証左であろう。ところが牝ライオンと豹のあいだに産まれる不義の子には、首にも肩にも、正しき獅子の嫡子である証としての、あの美しい鬣がみられない。哲学の牝ライオンにはそれに相応しき牡をこそ結ぶべきであって、かくしてこそ真正なる高潔の子が産まれるのである。それは産まれたそのときからもう、爪の鋭さによって容易に識別されるものである。さらに牝ライオンは単なる牝のライオンなのではなく、翼をもつものでなければならぬ。牝ライオンの羽の俊敏さは牡の剛力にも匹敵しうるものであって、牡との同等な戦いをも牝に可能とさせるのである。たとえ正当な理由もなく牡が猛り狂おうとも、この激烈きわまる牡の怒りに押さえ付けられることなく牝はいつでも飛翔できる状態にあるべきなのである。牝ライオンが飛翔するまさにそのときこそ、それを留めている牡ライオンには、牝へとつのらせる激情があるので、この闘争をつうじて両者には堅固な情愛が結ばれることになる。
 さて我らがこのような翼ある牝ライオンを見い出すに、如何なる場所が可能なのであろうか、あるいは、どうすれば翼を生じさせられるというのか。ただ唯一、有翼の牝ライオンが住むと謂われるのは、ウェヌスに捧げられた山の麓に深く刻まれた渓谷だけである。だがその山頂へと至る道中には、紅き獅子が棲まい、これはヘラクレスに討伐されたものの獰猛なる子孫である。この獅子をとらえて渓谷へ導き、有翼の牝ライオンと結び付けなければならない。牝ライオンのほうは容易にこの獅子へと屈服するのであるが、それは牝が紅き獅子の同類、類縁にあるものなればこそである。かくして雌雄は渓谷から山頂へと昇りつめ、もはや再び互いから離れることなくいつまでも神聖な婚姻生活を送り続けるのである。これらのライオンを捕らえることは容易なことではないし、多くの危険をともなうと弁えるべきであるが、それでもなお、これは成し遂げられねばならないことである。ライオンは、雌雄で食を共にはせぬと伝説にいわれる。とすれば、それらは別々の場所で捕獲しうると考えるのが順当だ。だが産まれて二ヶ月ほど、爪のはえ初め、歩き初めの頃にこれらのライオンを捕らえてしまえばよいのである。それらは成熟した頃にはつがいとなるので、これなら何らの危険も冒さずとも、目的は達成されるはずである。雌雄は春の時候に産まれるが、これには弛まぬ注視の観察が必要となり、この上ない精密さで注意深く密閉されねばならない。子供たちは脇道に入り込んでもいけないし、不要物を取り込んでもならない。

 
 
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