象徴三九 スフィンクスをば破りては、父ライオスを殺めたるオイディプス。実母の妻を娶るが命運。



斯術によりてオイディプス スフィンクスを自刎に追ひ込みけり

スフィンクス 其は謎掛けにてテーバイの民を畏怖せしむ

謎はかく問はれたり 朝旦に四本足もち

明昼には二本足 夜半に三本足とならむは何者ぞ

路ゆずるを拒みし 父ライオスを殺めし征服者

かつて母なりける をんなと結ぶ


 哲学者バカサーが『賢者の一群』にていうには「汝の探し求むるは、意義の小さきものにあらず。汝の探し求むるは、偉大な至宝なりて、神のいとも尊き賜物なり。かくて汝、学徒たるものよ、賢者らが永きにわたりて暗示せしことを学ぶべし。真実は誤りからのみ識りうるものなるが、斯術にしくじるより心に傷を負はすものなし。成し遂げては世をも手にせりとみずから思ふ者あらば、其の者の掌にはなにをも見出せぬであらふ」

 いにしえの賢者らはこうしたことを、スフィンクスと、その謎掛の陰にほのめかそうとしてきた。スフィンクスがもつ強大な力は、斯術の錯綜した秘密を示すのである。エジプトに於いてイシス崇拝の僧侶たちは、オシリスの恩典に讃えられ、卑俗の輩から自らを隔てようとして、頭部からのすべて体中の毛髪を剃り、純白の亜麻布の長衣を踵まで垂らしていた。たかき祭壇には沈黙のままにシガリオンと呼ばれる像が屹立し、傍らに立つ僧侶たちはこれに目を見据えつつ礼拝を捧げねばならない。祭壇の角にはスフィンクス像が立っており、秘められた聖務の叡智を象徴していたのである。これらは古い記述からボワサールに描き出されたものである。

 スフィンクスというものは一種の怪物であって、いとも難解な判じ物をテーバイ人に課したが、それはテーバイ人にだけではなく、それ以前にもエジプト人たちに同様のことを課すものであった。刻を経て術を志す者のまえにも現れ、かつてテーバイの門前にてそうしたように、哲学の書物のなかに横たわって見張の役をつとめる。この怪物の傍らを、ただ通る者には危害を加えることはないが、いちど才覚と勇気を見込んで判じ物に挑む者がこれに敗れれば、自身の心を煩悶させることでみずから死に至るはこびとなる。これは、斯術においての過誤が、作業に障害を来してしまうに同じことである。

 象形寓意を歴史的事実でよみとろうとすれば完全な誤謬に陥る。というのも、象形寓意の字義どおりの解釈などは、こどもだましの物語にすぎぬものにしか思えないからである。だが他方でそれらは深遠なる博学の徴(しるし)であり証左(トークン)ともなりうる。また、アフリカにはスフィンクスという名の野生獣がいるようであるが、伝説にのこる謎めいた名前が、もしその現実の生物に由来するものであったとしても、我々の関心は一向そういったものに連絡するものではない。《哲学者のスフィンクス》は人語、すなわちギリシア語をつかいこれを解す一方で、さる巧妙な命題、謎めいた探求を提示するものであり、ここには学問の理解への特異な研鑽があらわれており、それは人々にとって並大抵のものではないので、かくして粗野なる者はここから遠く隔絶されることとなる。けれども哲学者たちの思想に精通している者にはひとしく、ことの本質は容易に悟られる仕組になっているのである。あることが語られ、これが他の事象を意味するという両義性は錯誤をしょうじるものだが、これはなにも哲学者にのみ馴染み深いこととは限らない。テーバイの街人もまたスフィンクスの判じ物には永く途方に暮れていたのであり、ここに遂にはオイディプスが現れて、スフィンクスが岩から身を投げざるを得ぬような解答を提示しえたものである。

 オイディプスとは何者か。テーバイの王子として生まれたが、王は神託をえて、息子に殺される旨を予言され、これが産まれるやいなや殺すよう命じた。足を紐で括られて樹木に吊るされ、置き去りにされたオイディプスは土地の農夫に助けられて育てられた。かくしてオイディプスは人身の世に育ち、長じてスフィンクスの難問を打ち破ったことで世間にその才覚の鋭敏を存分に知らしめた。スフィンクスの判じ物はじつに数多いものであるが、この際にオイディプスに与えられた命題は以下のようなものであった。「朝に四つ足、昼に二本足、夜には三本足で歩くものとは何か」オイディプスがこれに何と答えたかは知られていない。しかし、これを人間の加齢に関連づけて解釈する者は誤解を犯している。はじめに熟考すべきことのすべては四大元素がかたちづくる《四辺形》であり、そこから我々は直線と弧の二線が形成する半球体――それは白き月(ルナ)である――に想いを至らしめる。これが至るところの《三角形》は肉体と魂と霊、すなわち太陽(ソル)と月(ルナ)と水星(メルクリウス)を含んでいる。ラーゼスはその『書簡』に「石は精髄において三角形であり、性質においては四辺形である」と述べている。我々の象徴二一が、この顕示と同様のものに関連している。

 さらにオイディプスは反逆、そして近親相姦という、考えうるもっとも忌むべきふたつの悪徳を負う者としても悪名高い。すれ違う馬車路に路を譲るを拒み、それと知らず自身の父である王を殺し、そのライオスの妻、自身の母たる女王と婚姻するオイディプスを、テーバイの人民は王位に就かせるのである。これは歴史的な故事として記されたのではなく、賢者らがその教理を求める者に示した、ただに表層的な寓意であり、斯術においては《親殺し》も《近親相姦》もひとしく慣例なのである。ことのはじめとしての父すなわち《作用因》は《本質》としての子に殺され、さらにその《本質》は第二の《作用因》とひとつになるように組み合わされる。そのように息子は母と婚姻によって結ばれ、父の王国を襲う。これは武力と婚姻と世襲という正当な権利の三重の資格に因んでいるのである。

 オイディプスということばは「膨れ足」を意味しており、これは熊や鈍い蛙のようにしか動けず、走ることもできないことに由来している。このことの背後には大きな秘密が隠されていて、この遅鈍ゆえに《オイディプス》は他の物質を凝結状態にし、火にも揮発せぬものに変える。これがまさに哲学者らがこれらの卑しむべき事項を要した理由である。

 
 
inserted by FC2 system