象徴四〇 ふたつの水からひとつをつくるべし、そは聖水とならむ。



ふたつの源泉ありて 清く迸りては逆巻き流る

ひとつは 幼き男児の泉 こは熱き水なり

ふたつは 冷たきにて処女の泉とぞ呼ばるる

めいめいを結びて二水をひとつとなせ

其の奔流らの混じりては どちの効能をも有すものとなりぬべし

まさにユピテル・ハモンの泉の いちどきにも熱く冷たくに似たり


 水がもっている奇跡はきわめて偉大なものであり、またその数もひじょうに多く、いかな大著にも語り尽くせぬほどである。ものの著者らは各々にこうした水の性質を良きも悪きも様々に記述しているが、いずれにせよこれらが由り来たるは《哲学の二水》であり、これらは対照的なものであるだけでなく他の水を遥かに超えた価値と資質を有しているがゆえに、その名が尊ばれているのである。マケドニアをはしるシュバリス河やアクシオス河そしてボイオティアのメラはその水を飲んだ家畜牛を黒くする。だが一方でメヴァエニアのクラティス・シタムニュス河やケフィスス河は黒い家畜牛を白くもする。カンパニアのシュネッサの水は男女どちらの性からも不妊を癒すが、アフロディシウス河は女性をうまずめにする。メソポタミアの泉カビエラには香しい匂いがあるがペロポネソスのアニガーの水は悪臭を放つ。ユピテル・アモンの泉は日中冷たいが夜には熱くなり、朝夕交互に生暖かくなる。これ以上は枚挙に暇がない。

 これらの水の相反する性質はすべて《哲学者の水》から生じる結果であり、ライムンドゥス・ルルスは著書『第五元素(クィンタ・エッセンティア)の蒸溜』の三巻でこれについて以下のように言及している。「斯術にて二重に熟慮せねばならぬことは、ある金属から唯ひとつの性質を得て、ここから相反する性質の《流体》を調合することである。《第一の流体》には凝固・固定・硬化の性質があり、《第二の流体》は揮発・融解・柔軟の性質をもつ。前者は後者に作用して《流体》はともどもに安定し《石》として結実するのである。それゆえ《石》は柔らかいものを硬くしたり、硬いものを柔らかくしたりする能力をもつようになる」こうしたことから《哲学の二水》の正体とその統合がいかなるものかは明らかとなる。融性のある《石》は《水》と呼ばれ、反対にもろく砕ける《水》は《石》と呼ばれるということである。

 性質を違えた水はそれぞれ、ときにかなりの域を隔てて湧き出す。ローマの「処女の泉」やその他の人為的な泉は、それぞれの水の合流によって混合し、かくしてふたつがひとつになるということを成就している。ここでは熱い水も冷たい水も混合し、それぞれが双方にもっている特質を備えたひとつの水となって驚くべき中和を実現するのである。こうして出来上がった温泉には、あらゆる疾病を退け正常な健康を取り戻す力があり、まさに《医薬の水》というべきである。このように自然は、大地の臓腑のなかで隠れた巧みさを発揮し、さまざまな水を多様な鉱物の特性に結びつけていて、これが多くの疾病や虚弱体質などに効果するのである。このあるがままの自然が至らぬところへと、人為を加えて助成する適正な方法のもとであれば、混合すべき各々はすすんで混合し、混合物質はあるがままのものよりも一層、実効の強いものとなるだろう。このように成立する物質は人為に由った人造物のようにおもわれるが、それはまったく純粋に自然のものである。なんとなれば、純粋なる同一物質は種々様々な要素に由来していながら、これらは決して人為に結実しうるものではないからである。ひとの術はまぜものを捏ねあわせるだけであって、自然の助けがなければ真実あるべき合一は実現しない。事物のまことの結合というものは、自然にのみ可能なことなのである。

 《万能薬(テリアカ)》の調合においては、いろいろな単一成分の人為的な混合物が用いられ、これは粉砕と発酵すなわち深い《悔恨》から醸成されるのであるが、よほどの考えなしでもなければ、これを自然の混成物とか、同一成分の医薬であるとみなす者はいない。人為的な混合物質は、人為的にはもはや分離できない物質どうしであっても、種々の構成要素が互いに完全には貫入しないままにも安定してしまう。しかし《性質》の混成についての我々の関心は《万能薬(テリアカ)》をつくりだす純粋物質の最初の性質が《第五元素(クィンタ・エッセンティア)》まで貫入したかどうかというところにある。物質の《性質》というものは壁に塗られた塗料のようなもので、ある物質のなかに偶発的に在っただけなのであるが、これがもともとの物質や粉末のなかにまだ残っているのかどうか、それを確認せねばならない。さらには第二、第三、第四の《性質》の変化についても明らかにすることである。おそらくすべての《性質》は、属する物質のなかに存続しており、まことの自然の混合というかたちで合成されはしない。さもなければ、つまり《性質》が物体から離れてしまうならば、いかなる人為的混成物も四つの《性質》の序列に従って四種の《第五元素(クィンタ・エッセンティア)》となってしまい、そうしたものが物質もなし生じては、互いから分離することになる。しかし実際にはこうしたことは起こるはずもない。

 ハレの凝血剤はひじょうに薄い血液からつくられ、凝固されても再び融解することができる。酢酸や鉛など他の多くの物質がもっている相反する効果も、目的に合わせてそれぞれに利用されている。こうしたことは自然が驚くべき有り様にて練りあげた結実である。《哲学者の水》にもいろいろな相反する力があるのだが、これは技術の助けのもとに自然が、反する要因を混成させてひとつの不可分の物質へと仕立て上げたものである。これは他の物質ががそこに混合している《第五元素(クィンタ・エッセンティア)》そのものに他ならない。

 
 
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