象徴四六 二羽の鷲ともども来る、かたや東よりかたや西より。



ユピテルのデルフィより一対の鷲をば放つこと

陽の出づるかたへ 陽の入るかたへ

何処かに地上の臍の在りぬべし

二羽の鷲ひとしくデルフィにかへりきたると伝われり

互いに頼りつがふ二石は 有り得べく結ばる

かたや東より来たらむ かたや西より来たらむ


 キケロは『神々の本質について』にて、いにしえのアポロン神はウルカヌスの息子であってアテネの守護者であったと主張している。まさしくウルカヌスの造り出す《哲学の太陽》こそがアポロンなのであるから、これはまさにただしく寓意を捉えた至言といえる。ところが一般的な見解ではアポロンはユピテルの息子とされ、ディアナとともにラトナに宿った双子である。それはユピテルに授けられたがゆえにユノーの嫉妬を煽り、子らを育てるラトナに巨蛇ピュトンが向けられてこれをいたく責め立てることとなった。かくしてながく迫害に彷徨うあわれな女はその姉妹アスティリアが周辺諸島を治めるオルテュギア島に船で辿り着いた。そこは波洗うほとんど海に沈みかけた土地ではあったが悲遇のラトナにようやく与えられた場所なのである。もともと《秘された(アデリュス)》と呼ばれたその島は、これよりディロス――ギリシア語で《顕現》の意――と呼ばれるようになった。

 そうした場所でラトナは子を産んだのである。まずディアナが生まれ、産まれたばかりであるにもかかわらず助産の役割を果たし弟アポロンを誕生へと導いた。ゆえにディアナは働く女の守護者であり、新生児に光を与えたのでルキナとかイリシアとか呼ばれることもある。また長じたアポロンはといえば母に苦痛を強いた大蛇ピュトンを弓矢で射殺すこととなり、さらにはユピテルの命により雷電を用意していたキュクロプス族をも打倒する。馬に引き裂かれたイポリットを再生させたためにアスクレピオスは父ユピテルの怒りに触れこの雷電によって地獄にたたき落とされようとしていたのである。

 すでに数多の箇所で示したごとく、これらのことどもはきわめて化学的である。ラトナやキュンティア、アポロンそしてピュトン、これらは斯術に欠かすべからざるものであって互いに不可分の関連をもっていること、だがこれについては既に述べた。そうしたことがオルフェウスやリノスやムセウスそしてホメロスなどの古代の詩家らによる著述のなかで明かされており、その秘儀は無知な俗衆をもアポロンへの宗教的礼拝と尊崇に帰せしめる機会となったものである。ヨーロッパにもアジアにもアポロンを祀った寺院は枚挙にいとまがないが、なかでも最も高名であるのはデルフォイのアポロン神殿である。ここに頭を垂れに参上した多くの王族たちは純金純銀の重厚かつ意匠ゆたかな彫像を数えきれぬほど奉納し、さらにまたあらゆる階層の人間たちは各々の信心にしたがってもろもろの高価な奉納品を納めたのである。

 これらの宝物のなかでも史家パウサニアスが特記しているのは、みごとな細工の施された青銅の骸骨であって、これはヒポクラテスによって寄贈され寺院の屋根に吊るされていたという。さらにここにはムルキベルからペロプスに授けられた名高き三脚台があった。ペロプスはエリス王オノメウスの娘ヒポダメイアと婚姻する際にアポロン神へとこれを献上したのである。三脚台は寺院の中央に立って巫女ピュティアを座らせる。深甚なる空坑から破魔の霊感を受け取ってこれに満たされた巫女は、やがてきたる前途の事象に憂う者たちにその答えとして預言を与えるのである。デルフィはボエティアのパルナッソス山麓に位置し、寺院から遠からぬところにカスタリアと呼ばれる占いの泉がある。燃え盛る松明ですらこれに近づけば消えてしまうが、ここから遠ざければ突如として再び炎を取り戻し再燃するという。この泉水は飲む者に預言の力を授けるが巫女の命を縮めもする。このような神託を得ようとヨーロッパとアジアの全土から人々が集まるデルフィを、全世界の中心と見立てんとして詩人たちは、二羽の鷲を送り出して全世界の中心を測ったユピテルの例を持ち出した。だがこうしたことはいっこう歴史的な真実を伝えるものではなく、すでに述べたようにもっぱら化学的なことへの記述として真実に矛盾せぬものなのである。アポロンとそれをめぐる状況とその起源は化学について述べられたものであるのに、ここに多く迷信が蔓延るのは悪魔的な影響力のしわざとしかいいようがない。

 二羽の鷲は《ふたつの石》であり、これらを様々に表出した哲学者らに従えば《片方は東から、もう一方は西から来る》のであってユピテルはそれらを紋章官として世界に送り出したわけである。鷲というものはアポロンすなわち太陽(ソル)と近しい生物であるらしい。若い鷲は太陽光の試練にかけられ、これに耐え得ぬ嫡子は捨て去られてしまう。またその羽根は他の物質と混合しても腐敗しないと評されており、さらには他の鳥類の羽根を貪り喰うも容易に鍍金を受け入れもするという。鷲類は加齢や病気で死ぬことはないが飢餓には弱く、年齢とともにつよく屈曲してゆく上嘴のために食餌ができなくなるので《三度体を泉に浸してこれを脱ぎ捨てることで嘴を若返らせる》のである。詩編の語部が「汝の若さは鷲のように蘇らむ」というのもこの故である。

 すべて鷲類は雷に打たれることはなく、さらには卵を狙う龍族に立ち向かう。こうした鷲類の性質すべてには斯術を成就させる機縁が裏書きされているので《石》の扱いは鷲への評価に準ずるのだが、ここで触れ得なかった示唆についても、賢者たちの残した書物には尽きせぬ例証が存している。

 
 
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