象徴四八 王は汲みたる水を飲みて病に臥せり、施術師にかかりて健康を取り戻す。



数多の富に臣下の者らに 力強き泉の王の水を好み給ふことしきりなり

命じては使いの者らに運ばせて

飲みに飲みたる王 やがては血管までをも水浸し

王はわりなく色づきて 名高き術師のなすがまま

発汗 浄化 吐瀉により術師は王を清めたり

病癒へたる王は両頬を紅く染める


 ペルシアにていとも権勢振るいしクセルクセス王は荒涼たる砂漠の行軍に於いて極度の熱気にあてられてひどく渇き、兵士が泥水の上澄を差し出そうともこれを拒否するどころかかなりの量を飲み、そうした飲用水を献上した者にかなり大きな報酬を与えた。だが近年の歴史家によれば、ペルシアの領土を訪ねてみても清流の泉を発見することはほとんどないだろうし澱んだ水は汚れていて飲むに耐えずその上澄はひどく塩気を含んでいるという。

 こと同じくして哲学者の王も渇きに苛まれている。王が従者にたくさんの清水を持ってくるよう命じ差し出された水を心ゆくまで飲むというのはよく知られた『メルリヌスの寓話』にある通りであるが、ここでは病気になって血相を損じた王の治療をさまざまな治療師が引き受けることになっている。まず処置を施すエジプト人はしかし余剰を含んだ体液を活発にさせてしまう。ヒポクラテスの主張によれば余剰体液は撹拌され流動されていないのであれば浄化されるより前に消化されるべきであり、そのようにしてすぐに排出されればより高度な部位に流入して害を及ぼすことを防げるのである。かくして王の容態は危険な状態に陥ってしまうのである。

 だがこのあとにアレキサンドリアの医師が現れこのひどい病に効果をもたらして王を以前の健康状態に戻すのである。

 病に苦しむ偉大な王の治癒というものはかなりの富につながることで、健康を取り戻した王はその寛大な両手を広げて朗らかな態度を医師にむけるものである。病の王を癒して気高くも報いられた者達が多くの書物に現れている。医師デモニデスはサモス島の君主ポリクラテスに寵愛されて二タラントを得たし、またエラシストラトスはプリニウスの語るところによればクリュシッポスの門弟でありアリストテレスの娘の子であるが、プトレマイオスから百タラント得たという。これは医師がアンティオコスすなわちプトレマイオス父を癒した結果であり、その病は継母ストラトニケへの愛に端を発していた。さらにフランス王ルイ二世の侍医であったヤコブ・コクテリウスは俸給として月に四千クラウンを得ていたというが、これ以上に近代の事例には言及するまい。

 だが我らが哲学的王の治療はより大きな報酬へと繋がる。『哲学者の薔薇園』ではヘルメスとゲーベルの言辞が引かれ「ひとたび斯術を成就せし者たとひ千歳生きやふとも四千の民を養ふとも己はなんら不足に陥ることなし」セニオルもまた「エリキシル造出の要となる石を持つ者が富んでいるのはまさに火を持つようなもので、いついかなるときでもなんぴとにでも自身に危なきなく望みのままに与えることが叶うのだ」と語っている。

 デモクリトスの父もまた一方ならぬ長者でありクセルクセスの兵のために響宴を催したという。さらにピテウスはといえば五人息子の末男を兵役から免れさせようと全軍資を五ヶ月に渡って負担する旨を申し出るほどのたいそうな資産家であった。末子を膝元におくことで末路の慰めにもせんとしたわけである。ところが野蛮な王はピテウスのこの具申を認めず件の寵児をふたつに引き裂き、街道脇に屹立する大柱にそれぞれを括りつけてはその間を全軍に通過させたのであった。『エンネアデス』第二巻でセベリウスが述べている通りである。

 このような分限者らの富といえども我らが哲学の王がもつ財宝に比すれば無にも等しい、それは数にも尺にも無限大なのである。ひとたび《水》から解放され快癒した王を、あらゆる王侯や近隣の君主らは恐れ敬うこととなる。ものどもこの王の脅威を見んとするならばよくよく清めた坩堝のなか王の爪でも髪でも血の一滴でも穀粒ほどさえあらばこれに清められた一オンスの水銀を加え木炭の火にて穏やかに熱するがよい。容器が冷えればそこには《石》が見出されるであろう。

 ベルナルド卿が示唆していたのはまさにこの王のことであるが、王は自らの持つ王国に比肩するものを六人の廷臣に与えるという。浴槽で若さを取り戻した王が《黒い胸当て、白い外衣、紫紅の外套》で着飾るあいだ、廷臣たちはただ待っているだけでいいのである。かくして王は六臣にその血を与えその富を分け与えることとなる。

 
 
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