象徴四三 汝を欺くことなき鷲のさえずりに耳傾けよ。



鷲鷹は峻厳の山に立ち居り

間断なく呼ばひてはかく云ふなり 余はしろくもくろきなる

黄でも赤でもあり 此は真実まことなり 鴉の際もまた同様

闇夜に 明き昼の間に 其は翼なしに飛ぶが常なり

どち等もが 汝が術の要を成すものなり


 鸚鵡や鴉、鳩や鷺などが人間の声をまねて喋るようすは日々日常にみることが出来る。プリニウスは『博物誌』で、クラウディウス・カエサルの妻アグリッピナがツグミを飼いこれが能くものを言ったことだとか、皇帝の子孫たちが飼ったムクドリやナイチンゲールがギリシア語やラテン語を仕込まれ、毎日あたらしい言葉でかなり長く言葉を話したことなどを紹介している。とはいえ今の世では人語を話す鳥たちはありふれて珍しくはなく驚異的でもない。大概の鳥類は舌が普通よりも大きければ習慣づけと訓練とによって話をさせることは可能なのである。

 哲学者らの示唆する《鷲》は教練などによって言葉を身に付けるごときものではない。《鷲》は暗黙裡にも内に秘めた性質がみずからを表出するものであるが、賢者にとっては、自身とその何たるかを大声で鳴き叫び続けている存在なのである。その称号とそれが受け継ぐべき富は公に宣言されて万人が認めるところとなるような偉大なる皇太子、《鷲》が模倣するのはそうした存在なのである。高慢によるでなく、臣下の者たちから万人へと知れ渡り、その相続の主権は宣言される。《哲学の鷲》がいかなる色彩を紋章や称号として身に帯びるか、それを享受することで他をいかに凌駕するかということを知るのは極めて重要である。

 『哲学者の薔薇園』に於けるヘルメスの引用に「予は白より出でし黒、紅より出でし黄なり」というものがある。まさにそれは、いまだ表さぬ色彩にやがて恵まれることを期待させるものであり、これについてはロシヌスもその著『神事釈義』で「石を用いよ、そは黒くも白くも紅き檸檬色なりて夜の闇にても陽光にても、翼なく飛翔せる驚くべき鳥なり」と述べている。こうした色彩は《鷲》の咽喉から苦痛を伴って取り出されるのだが、その血液からは新たに水が得られるとアレキサンダーは言う。「嗚呼、息子よ、四つの色彩まとう石をとるがよい」哲学者らの書物には、これらすべての色彩を《石》は持っており、ここから続く階梯の基本となるという予見に溢れている。

 かような《哲学の物質》を《鷲》と呼ぶのは理由なきことではない。最も一般的な鷲類には黒いものが多く、それは力強い猛禽でありその巨体を利用して悠々と飛翔する。この鳥は雄の働きかけもなく受胎し性交もなしに子を宿し、その嫡子は百歳にもおよぶ高齢に達するといわれる。それは岩山の高峰に営巣し、何人たりともその巣には触れ得ず、ここに二匹以上の雛が見られることは極めて稀である。鷲は蛇を忌み嫌ってこれと能くたたかう。鷲が受胎するのは東風に依るのであって、卵を温め始める頃にはすでに、インドまで出掛けて得た堅果(ナッツ)のようなものが巣に運び込まれてある。その核心部には動くものがあって音を立てており、これを巣に入れることで鷲は沢山の雛を産むことができる。しかし生き残るのはただの一匹だけであり、これがイムルスと呼ばれるものである。ヘルモドロス・ポンティクス『コエリウス』には、鷲類は人間の蒔いたものに一切手を付けることなく、さらには生きるものを殺すことがないので、動物種のなかでもっとも清廉潔白である、という証言がある。そうした親和力の本能のゆえに鳥類の死肉を貪ることもない。こうしたことから鷲類はローマの建国宣言にみるがごとく古代の予言に重んぜられてきたのである。

 《哲学の鳥》はあらゆる点で鷲類の特徴をを表出するものであるから、ヘルメスなどの賢者らが多くこれを《鷲》と呼ぶは不当なことではないのである。『哲学の薔薇園』の結びに記されるように、それは悠々と飛翔し、黒き色をもち、自身と婚姻を結んで自ら孕み、その盛期に生まれる《龍》である。『ロシヌスからサラタンタへ』では「そは大蛇なり、おのずから多産なりておのずから身籠り一日に産る」と記される。その寿命はかなりのものであり、自身で増殖する。ウェルギリウスが不死鳥について述べるところはこれとよく似ているが、実は同様の鳥といえよう。曰く「年の経過に従って鴉は俊足の牡鹿を三度凌駕す、生命を刷新させた不死鳥はカラスの年の九倍にも倍加する」

 この鳥の巣の高みにまで登るのは果たして容易なことではなく、これは水銀の毒蛇とたたかってこれを打ち負かすにひとしい。これは《太陽(ソル)》が《月(ルナ)》と戦うことである。《太陽(ソル)》は風に孕まれて《月(ルナ)》の胎内に生じ大気に生み出される。《鷲の石》あるいは原因石(エティテ)はその内部に小石を含んでいて音を立て一般にトティウムと呼ばれている。《哲学の巣》にはたったひとつのイムルスがあるのみである。また《哲学の鳥》はなにものをも傷つけることが無いので極めて純粋無垢なものである。それを識る者に富を齎すうえ占術の佳き助力にもなる。

 《鷲》が山の頂きに営巣しそこから絶え間ない叫びをあげるのは何故であろうか。ロシヌスはこの疑問に答えるにラーゼスを引く。「最高峰を模索して右峰より左峰までの隅々を登れ。かくして我らが石は見出され、さらなる峰にはいかなる色をも超えて染色する霊気のごときものが見出されるであろう」モリエヌスが遺している言葉もまた同様である。「樹木の覆う高き山に登るべし、そこに隠されおる我らの石は見出されん」ヘルメスの言辞には「聖なる石を用いよ、これを細かく砕いては紅石を洗浄せよ。山中のとりわけ古き水溜まり、その地下水脈に見出されるものは、かように調合される」というものがある。


 
 
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